5月8日、63歳の夫が脳梗塞で緊急入院、一度は命が危ないと言われ、左半分は麻痺となった。9月の退院と言われつつ、7月の末には、歩けるようになり、4階にある我が家へ自分の足で歩き退院し帰宅した夫。
12月2日転会式も終え新しい生活が始まった。
夫はぼんやりテレビを見、食事をしお酒を飲むという日々でした。
ハローワークに手続きに行きましたがなかなか職も見つかりません。
話しもだんだんしなくなっていきました。
ある夜、お酒に酔った夫が言いました。
「お前に俺の気持ちがわかるか?俺は何故、長崎に来たんだろう。
この4階から何度も何度も飛び降りようと思った。
だがな、飛び降りようとすると後ろから強く引っ張るものが
あるんだよ。」と・・・
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【2012/09/30 21:52】 | 未分類
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引越しの日程も決まりましたが、夫は仕事にいけなくなってしまいました。
しかし、引越しの準備も一人でやるしかありません。一つ一つ進めていき
ました。夫の寝ている以外の部屋から・・・
あと引越しまで3~4日という時「主よ。夫を助けて下さい。」と祈りつつ
祈祷会に行き帰って見ると、夫は床をあげ起きて、煙草のヤニで汚れた自分
の部屋の壁を拭いて掃除をしていました。主に感謝しました。
明日は引越しという土曜日、やっと何とか片付いたと思い、ふと玄関の横の
小さな物置を開けて見てびっくり、古新聞が山のようにあるのです。
どうしょう!明日はごみ収集日でもなく出す事もできません。どこかに
運ぶ力ももうありませんでした。「神様!助けて下さい。もう動けません。」
とベッドに倒れ込み涙が出てしまいました。そこへチリ回収のアナウンスの
声が聞こえてきたのです。あわてて下へ降りていき呼び止め来て貰いました。
二人の男性が来て下さり「ありがとうございます。」と言ってすべて持って
行って下さったのです。神様はこんな細部の所まで御手を動かし助けて下さい
ました。当日11月25日礼拝を終え、荷物をトラックに入れ終えた所に
夫の会社の人が奥さんを連れてお別れに来て下さいました。(若い夫婦です)
夫は「あいつが来てくれるとは思わなかった。俺に一番しごかれたやつなのに」
と嬉しそうでした。神様は慰め主であり、助け主です。主の計り知れない愛に
感謝しました。

【2012/09/30 09:00】 | 未分類
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長崎に住むための家が決まり10月末で仕事も止め
引越しの準備に入りました。しかし夫は人間関係、仕事の
事などで特に事故の事が忘れられないようでした。
無理もありません。これは主にしか解決できません。私も
祈るしかできません。主を信じて・・仕事も時々休むように
なってきました。主に助けを求め引越しの準備も一人でやるしか
ありません。業者の方に見積もりにきてもらい(それも牧師が
000に見積もって貰ってみたらと助言して下さいました。)
見積もってもらうなかで、私は引越し代として10万円以内と
予算を立てていたので、その事を業者に話したら
「それは無理です。とても10万円以内ではできません。」と
言われていた時に業者の方の携帯がなりました。そして電話を
切られて言われました「お客様、10万円以内で大丈夫です。今
会社から連絡があり、長崎から鹿児島へ引っ越す方がいて、その
帰りの便だったら半分でいいので10万以内で大丈夫です。ただ
日にちが決まってしまい11月25日日曜日の午後になりますが・・」
と、すぐ牧師に連絡を取り許可をもらい11月25日日曜日礼拝を
して午後から出発できるようになったのです。
牧師が助言して下さり、従った時、礼拝も守る事ができ、引越しも
予算内でできたのです。
本当に教会の助けに感謝しました。

【2012/09/29 09:00】 | 未分類
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長崎へ家探しにきた私は娘と共に探し始めました。
主に具体的に今迄祈ってきました。
まず、毎日の早天祈祷に出れるように教会の近くである事。
日当たりのよい所で3DKで家賃も5万円以内。
安全な所(娘が暫く一人で住むので・・)
窓から緑(木々、山など、田舎育ちなので・・)が見える所と
条件をあげて祈っていました。
数軒不動産屋をあたりましたが、行く所、行く所で言われました。
長崎ではお客様の条件に合う所はありませんと・・・
その頃、教会は上野町(平地)にありその周辺は家賃が高かったのです。
でも娘も私もあきらめる事ができなかったのです。必ずどこかにあると・・
住宅ガイドを見ていた娘がどうしてもここを見てみたいと言い連絡をとり
見せて貰いました。娘も私も「ここだ。」と思いました。
家賃だけが5万3千円でしたが(それでも千円安くして下さいました。)
後は祈った条件にぴったりでした。手続きを済ませ、娘の荷物を入れ
生活できるようにして、私は鹿児島に帰りました。

【2012/09/28 09:00】 | 未分類
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私はこれは遅くとも11月迄には(群れの新年度)長崎に
入っていないとまずいぞ!という迫りがあり祈りました。
祈るなかで信仰の対応をとらなければと思いました。
お金はまだ与えられていませんでしたが、パートで働いて
いたので会社の上司に長崎へ転居する事になったので、
10月いっぱいで止めさせてほしいと伝えました。それが9月
27日。すると次の日電話がなりでると
「00事務所です。ご依頼の件、解決しました。お金が
0十万円返ってきています。印鑑を持って受け取りにきて
下さい。」という用件でした。
動いたのです。二つ目の山が・・・
我が家はマイナスはあっても預金0の状態です。
その額は私が今迄手にした事のない額でした。
娘に「A!長崎に帰れるよ。私達も一緒にいけるよ。」二人で
喜び心から感謝しました。
次の9月29日に娘は長崎へ出発しました。私は夫の許可を
受け教会の許可を受け10月1日日曜礼拝を終え住居となる
家を探すため長崎へ向かいました。

【2012/09/27 09:00】 | 未分類
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いよいよ主が招いておられる。
長崎へ行く時が近い事が祈りのうちにわかってきました。
まず一つの「夫の承諾」という大きな山が動くように、
「話す時を下さい。」と祈っていました。
ある日夫は夜勤明けでひとねむりし、お酒を飲んでいました。
普通の会話の中で、「お父さん、お父さんは長崎へ行った事が
あると言っていたよね。」
「ああ、若い時にな。なんでや?」
「いや、長崎ってどんな所かな、住みやすいのかな?と思って
このままAを長崎に一人でやってもちょっと体が心配だしできれ
ば私達も一緒に行けたらいいなあと思って」
「ああ、いいぞ。」
「えっ!お父さん、いいの?お父さんも一緒にいくんだよ。
お父さんは仕事も止めなくてはいけなくなるんだよ。いいの?」
「ああ、かまわん!」
「じゃ、神様にお金を与えて下さい。と祈っていいのね。(もう
祈り始めていたのだが・・・)お金が与えられたら、引越しても
いいのね。」「ああ、いいぞ。」もうびっくりです。祈っていな
がら・・主は素晴らしいお方です。
主は夫の性格もすべてご存知です。夫は普段から私に「男は一度
口に出したことは撤回しないものだ。」と言っていたのです。
動かない山が、動いたのです。神の手によって。
不可能と思われた事が可能となったのです。
それが9月23日でした。

【2012/09/26 09:00】 | 未分類
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信仰を持って祈り始めてから4ヶ月位して、長崎の神学校へ行っていた
娘から体調を崩してしまったので帰鹿するとの連絡があった。
ショックだった。長崎へ行こうと祈り始めた矢先の事、すぐ感謝できず
主よ。どうしてですか?教えて下さいと祈った。
娘に主に祈ったの?み言葉をもらったの?と何度かメールでやりとりをし
娘が創世記28:15
「見よ。わたしはあなたとともにあり
 あなたがどこへ行っても、あなたを守り、
 あなたをこの地に連れ戻そう。
 わたしは、あなたに約束したことを
 成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」とみ言葉を貰ったと・・
それを聞いたときみ言葉が与えられたら大丈夫だと平安が与えられ感謝の
祈りに切り替えられたのです。感謝の祈りをしていくうちに、ふと、
もしかして主はこの娘と私達一緒に長崎に行かせようとしているのでは・・
という思いが心の内にきたのです。
そして感謝の祈りをしつつ山に向かって宣言していきました。
9月に入って礼拝メッセージを通して主は語られました。
「仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。
恐れるなわたしはすべての国々を揺り動かす。
銀はわたしのもの。金もわたしのもの。」ハガイ2:4~9と・・・
このみ言葉を信仰を持って受け取りました。

【2012/09/25 09:00】 | 未分類
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4月に群れのP牧師が来られ鹿児島カリスマ聖会があった。
私は確認を取るため、長崎に行くことが導かれているのですが
御心かどうか祈って下さい。と主の御心を求めて祈ってもらった。
すると預言があり「賜物を用いなさい。」の一言だった(吟味が
必要ではあるが・・)神様どういう事でしょうか?と又祈った。
ふと思い当たることがあった。その頃私は信仰の賜物を求めていた。
あっこれは信仰を用いて祈れ。と言う事だと気づいた。そしてその時の
聖会のメッセージがマルコ11:22~24
イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに
告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と
言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら
そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受け
たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」この所から
「受けたと信じる信仰それがからし種の信仰。それを用いよ。」と語られ
ていました。そのからし種の信仰を用いて祈れ!と受け取りました。
我が家には大きな山、動かない山が2つありました。
それは夫と経済の山です。私はまず、み言葉を求めその山に向かって、
み言葉を宣言し、そうなった事を信じて感謝していきました。

【2012/09/24 09:00】 | 未分類
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主の十字架に転会してすぐの頃長崎教会に娘を連れて礼拝に行った。
(鹿児島はまだ平日礼拝だったので・・・)I牧師夫妻は熊本教会の
牧師となられたk牧師の按手式の奉仕に行かれ不在だったが、教会の
方々が喜んで迎えて下さり共に礼拝を捧げた。
教会に入った時真正面に大きな十字架とその横に
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で
わからないのです。」ルカ23:34のみ言葉が張ってあった。
それを見て、主はここに導かれている事を強く感じた。
そのみ言葉は私の救いの時のみ言葉であり、信仰生活の土台のみ言葉
だった。そして確認をとるために、主のGOサインが出るまで祈り続けて
待った。その間、毎年の殉教聖会や長崎カリスマ聖会に行き続けた。
夫も前もって話せば「ああ、いいぞ。」と出してくれた。
本当に感謝している。1年、2年、3年、4年・・・・・・・・11年目にさしかかっ
て来た時、長崎へ向けてのみ言葉が与えられ始めた。
2006・3・30「立ちなさい。さあここから行くのです。」
ヨハネ14:3と・・・・・

【2012/09/23 13:47】 | 未分類
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夫が保線の仕事を始めて数年立ち重要な仕事も任されるようになった。
そんな時事故がおきた。夫が現場監督をしている場で、
仕事をしている中に列車が突っ込んできたのです。夫はその場から
少し離れた所におり「みんな!にげろ!助けてくれー!」と叫び頭が
真っ白になり足がガクガクしてみんなもう助からないと思ったと、
本当に何もできない弱い自分を知ったと・・しかし誰一人怪我もなく
助かったのです。(神の助けを思いました。)その事故と事故処理の
事などで人間不信とその時の恐怖感がとれず眠れなくなり、食欲もな
くなり、うつ状態のようになってしまった。祈ろうと言ってもはねのけ
病院を勧めても行こうとしなかった。ある日夜中に眠れないらしく、
苦しい、背中をさすってくれとという。私は背中のあちこちに手を置く
度に「イエス様。十字架を感謝します」「十字架を感謝します」といい
ながら手を置いていきました。すると暫くして「ああ~気持ちがいい~」
といいながらすう~と寝てしまいました。十字架の力を思わされた。
主を拒んでいる夫の上に、いつもいつも主の目は注がれ、十字架の愛を
注ぎ続けて下さっている。神の時がある。
主を信じて神の時を待とう。

【2012/09/22 09:00】 | 未分類
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家も新しい所へと引越し、信仰生活も新しいスタートとなった。
夫は漁師の仕事に限界を感じているようだった。
仕事は一生懸命やる人なのだが、短気な事もあり喧嘩しては
やめる。と言うことを繰り返していた。転会した鹿児島教会
では、船を降りて陸の仕事ができるように(人間をとる漁師に
しょうというみ言葉の成就のために)と祈り始めていて下さった。
暫くして30年やってきた漁師をやめた。十代の時からやってきた
仕事止めると決心するまで色んな思いがあったと思います。
すぐには仕事が見つからず、見つかっても行って暫くして止める
の繰り返しだった。それをみたあるクリスチャンの方が一般の
社会に出れるまで自分の所で面倒みる。と言われ1年間いろんな
問題をおこしても約束だからと雇い続けてくださった。
そして1年が過ぎ夫はじぶんで仕事を見つけその仕事をやり続けた。
夜勤の多い仕事(JRの保線)だったが、2~3年して重要な仕事を任され
るまでになった。最初の給料を貰って来た時夫は言った。
「俺は馬鹿だった。昼夜汗水たらして働いてこれだけの給料、漁師
時代はこの金額を一晩で使っていた。だから今はこずかいが少なくとも
文句は言えない。」と・・これからもっと今まで気づかなかった事を
気づかされ、見えなかったものが見え、知らなかった事を知るように
なると思う。陸での生活のなかで、家族と共に暮らすなかで・・・
神様が夫にふれ、働き始めておられるのを感じた。

【2012/09/21 00:00】 | 未分類
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私の所属している教会が単立教会となり開拓伝道に入った。
八年いる中でいろんな学びがあり、訓練があった。
いろんな状況がゆるされたが主が導かれた所、主が「出れ」
と言われない限り出れなかった。
あらゆる問題、疑問すべて主に叫び泣きながら祈った。
主は具体的にみ言葉を通して教えて下さりそして言われた。
「私が主である。」と、私が思い煩う事ではない。主がおられる
のに主に委ねていない自分に気づかされ悔い改めた。
後で知ったのだが、その頃主の十字架クリスチャンセンター
は主に示されて熊本教会から、鹿児島へ来られ誰も来ていない
なかで集会をやり続けておられたそうです。
そしてある方との出会いがあり、その方を通して初めて集会に
参加した。今でも忘れることができません。ドアを開けたら
「主任牧師 イエス・キリスト」という文字が飛び込んできた。
それを見た途端、涙が溢れて止まりませんでした。
集会中泣いてた気がします。
主に導きを求めて祈り半年後にみ言葉と共に転会する事を語られました。
教会の牧師に話すと、最初は驚かれましたが、祝福して送り出して下さいました。
ここでの八年間のなかで主に祈って主に聞く、と言うことを教えて下さいました。
転会したけれど礼拝はどうすればいいかなと思っていたら、
ある日「霊の戦いをします。重荷のある人は断食をして来て下さい。」と
連絡があり当日九州管内の牧師の方々が来て下さり霊の戦い後、集会があり
「今日から鹿児島教会とします。」(1994・5・16)と言われた。
神様の深い愛にあとからあとから涙が流れ落ちた。
今までの住居は教会のすぐ後ろだったが、夫は一度も教会に来る事はなかった。

【2012/09/20 10:38】 | 未分類
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私の所属していた福音派の教会00伝道所がいろんな事があり
単立の教会となりました。私はそこで月に一度自宅を開放して
「カルバリー集会」という家庭集会をやっていました。
いつもは夫は船に乗っているので集会の時は居た事がありません
でした。ある日、その月は夫のいる時になりました。
どうしょう!と思い祈りました。日付を変更しようかとも思いましたが
平安がありません。この日は月に一度第00曜日カルバリー集会と主に
捧げた日です。思い切って、覚悟して(叩かれるのを)言いました。
すると「なにー!なんで俺のいる時にするんだ。いない時にやれ!やって
みろ、ぶっこわしてやるからな!」とすごい剣幕です。しかし私には
不思議な平安がありました。主が共におられるという平安が・・・・
当日、いつものように人々を迎え賛美し聖書から話しました。
Ⅰコリント1:27~28「神は無に等しい者を選ばれた」という所です。
夫は襖越しの隣の部屋にいます。しかし何事もなく終わり、いつものように
皆さん喜んで帰っていかれました。集会が終わっても夫は何も言いませんで
した。それどころかいつもいかない夕食の買い物に一緒に行こうと言うのです。
私の方が驚いてしまいました。これらの同じ様な事を何度か経験するうちに
私は知りました。状況がどうであろうと、相手がどうであろうと、私自身が
「主に心を定めて従う」ならば主がまわりを変えていかれる事を・・・
相手が問題なのではなく、自分が心を定めるかどうかだという事を・・・

【2012/09/19 00:00】 | 未分類
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夫は長男に仕事を教える前に、
「人と話す時は相手の目を見て話せ!
 人の話を聞く時は相手の目を見ろ!」と教えたそうです。
長男は自分に自信がなかったのだと思います。ましてや長男に
とって父親は一緒に遊んだ事もない恐い存在でしたから・・
周りの人に「00ちゃん。我が子だからって、そんなに叩くな!死んじゃうぞ!」
と言われたそうです。(しかし、それが今までの夫のやり方で暴走族の若者達や
まわりが手に負えない若者達に仕事を教えてきたのですから)しかしそんな状況
でも父親の愛は感じ取っていたのでしょう。私には父親に叩かれた事など一度も
話したことはありませんでした。そしてだんだんたくましくなっていきました。
2~3年たった頃でしょうか?ある時夫が長男に何かを言いました。すると長男が
「わかったよ!いけばいいんだろう。いけば!」と言うと「なに~!その言い方は
なんだ!ちよっとこい!」と胸ぐらをつかみ、私に「絶対入ってくるな!」といい
襖をピシッ!と閉めました。ガラスの割れる音、叩く音が聞こえてきます。
まだ小さい次女は泣き出しています。私は頃合いを見て中に入り思わず叫びました。
「男の意地の張り合いで喧嘩するんだったら、外でやって!」と・・・夫はキョトン
として叩いてた手が止まりました。止めに私が入ってきたと思ったのでしょう。
後で夫は言いました「あいつは、俺を叩く事もできた。しかし拳をブルブル震わせな
がら、目で勝負して来た。もうあいつを叩いたらいかんと思った。あいつに俺を
乗り越えてほしいと言う気持ちとお前なんかにまだ負けん!と言う気持ちがある」と
そしてポツリと言った。「俺には瞬間的な忍耐力はある。しかしお前らには(長男も小6
で洗礼は受けていました。)本当の忍耐力があるな。」と・・・・

【2012/09/18 11:51】 | 未分類
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絶対、帰ってこない!と言っていた夫から3ヶ月目に連絡があり、
6ヶ月目には主が語られた通りに家族の元に帰ってきました。
そして、更に主の不思議をして下さいました。
10年ぶりに私達家族に新しい生命を与えて下さったのです。
次女が生まれ夫は三人の父親になりました。
そしてそんな中で長男の不登校が始まり(中三)いろんな問題が
起きてきました。しかしその事を通して私自身は神に委ねるという
事を学びました。祈る中で神様は中学を卒業後、長男は父親と共に
船に乗るように導かれました。神様は子供とあまり接触のなかった
夫に長男と共に船に乗ることを通して親子関係を回復しょうとして
おられました。一航海終えて長男から「00です。ただいま帰りま
した。」と電話があった時、長男のなかでなにかが起きたことが、
はっきりわかりました。そして今まで見た事もないいい顔をして
帰ってきました。夫の方はこれもまた見た事のない疲れた顔で帰って
きました。女が仕事に口出しするな!といっていた夫が船での事を
話し始めました。「なさけない!俺が今まで仕事を教えてきた中で
一番駄目な奴だ。なさけなくて俺はベッドのなかで泣いたぞ!」と
神様が男としてのプライドや俺は出来るという仕事に対するプライド
を砕いておられるようでした。長男は、「今までお父さんが家で
ごろごろしてテレビ見たり、遊びに行ったりするお父さんしか知らな
かったけど、僕らのためにこんなに一生懸命働いているんだとわかっ
た」と・・・神様は神の方法をもって親子関係を修復し回復してくだ
さっていました。

【2012/09/17 13:54】 | 未分類
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私は30年前、福音派の教会で救われた。
いろんな事があり、人間不信に陥っていた私は、暗い日々を過ごしていた。
子供の問題で教会へ行くようになり、イエス・キリストが十字架にかかり
ながら「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか
自分でわからないのです。」ルカ23:34と祈られた事を知った時、
「この方の愛は本物だ。この方について行きたい。」と思った。そして
ずーと自分を責め続けてきた私は、私の身代わりをイエス・キリストが
引き受けて下さり、もう私は苦しまなくても神は赦して下さった。と言う事が
はっきりわかり、罪を告白しイエス・キリストを救い主として受け入れ洗礼を
受けた。信仰生活をするなかで神様は「祈りに応えられる」という事を知り
具体的に祈るようになった。ある時、教会が持っている伝道所に重荷のある者は
立って下さい。と招きがあり7名の者を祝福して送り出して下さった。私もその
中の一人で、主からの導きがあり備えていた。その場所に引っ越す事も語られて
いたのでその事を話すと(その時夫は漁師をしていて1~2ヶ月に1回帰って来る
という生活だった。)夫は「俺はお前の信仰についていけない。俺をとるか、神を
とるか。どちらかだ。」と言いました。私は「離婚は神様のみ心ではない。私は
今までずーとイエス・キリストに支えられてきた。イエス様なしでは生きていけない」
と言うと「わかった。1年待とう。引っ越してもいい。しかし、俺は絶対帰ってこな
いぞ!覚悟しとけ!お前は俺の性格を知っているだろう!」と・・・・
しかし主はその時に私に語って下さっていた。
「あなたの夫を人間をとる漁師にしょう。娘よ。安心しなさい。夫はあなたの所へ
帰って来る。」と・・私は主の言葉を信じて子供達を連れて主の言われる所へ
引っ越した。

【2012/09/16 09:00】 | 未分類
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神様は本当に真実です。
私達一人一人に神の計画を持っておられます。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
ー主の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29:11
とあるように。
神様は夫にも計画を持っておられました。
25年前に私に「あなたの夫は人間をとる漁師になる」と語られた計画が
ありました。主の方法を持って神様は夫にふれ整えていかれました。
剪定師が刈り込みをするみたいに。
この脳梗塞も用いて整えておられます。夫だけではなく妻の私も共に。
ここまでにもどのように神様が御言葉の真実を現して下さったか、これから
少しづつ書いていきたいと思います。

【2012/09/15 09:19】 | 未分類
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病気をしてからお酒は止める事ができた。
その分、甘いものがほしのだろうか?甘いものをよく食べる。
ある日、娘がお菓子を半分食べて冷蔵庫に入れておいたらしい。
次の日「アレッ!私のお菓子がない。あ~あお父さんに食べられ
ちゃった。」とぼやいていた。
ふと、子供達の小さい時の事を思い出した。夫は普段はあまり
甘いものは食べなかったが何故か酔うと甘いものを食べて
いた。それを知っていた子供達は自分のおやつを冷蔵庫に入れる
時は「00のもの。食べないで!」と自分の名を書いていた。
今回、夫は前頭部の脳梗塞をおこした。この前頭部はお医者さん
によると善悪を判断する所なので、善悪の判断がつきにくいかも
しれません。と言われていた。
主よ。完全に癒しを与え、夫の善悪の判断ではなく、あなたを
信じあなたに祈り、聞き、主の善悪を知り主に従えますように。

【2012/09/14 09:00】 | 未分類
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夫は心臓も少し悪いとの事で、昨日心筋シンチ検査を受けた。
午前9時から午後3時位までかかる検査である。
検査と検査の合間に昼食をとるため売店まで行き、フロアで
昼食を済ませ再び検査室へ、入り組んでいるので、間違わな
いように先を歩きふと後をみたら、いない!アレッ!どこへ?
もしかして、トイレかな?と思い待っているとトイレから出て
きた。検査が終って会計へ支払いが済むまでここにいてと、
待合椅子にすわらせた。精算を終え夫の所へ行くといない!
エッ!どこにいったのだろう。周りを探すがいない!感謝しな
がら玄関入口で待つことにした。数分たってひよっこり柱の陰
から出てきた。「どこにいってたの?トイレ?」と聞くと「いや
待っていた」と・・・これは夫の病気のせいというより、私達
夫婦のコミニケーション不足かな?
主よ。あなたが望まれる夫婦として下さい。

【2012/09/13 10:28】 | 未分類
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日曜の朝、夫に「礼拝の前、向かえに来た方がいい?それとも自分でくる?」と尋ねると「自分で来るからいい。」と言う。本当に来るかな?と少し不安はあったが私は早朝礼拝のため(5時半)家を出た。早朝礼拝の半ばガラッと入口の戸が開き夫が立っていた。びっくりしてしまった。足が少し痛いのでこのまま第一礼拝に出ると言う。今迄夫はメイン礼拝に来ていたので(私はメイン礼拝の時は祈りの奉仕)共に並んで座り礼拝した事がなかった。夫の隣に座ると言う事、事態私には勇気というか、力が必要だと思っていた。しかしスゥ-と自然に座れた。自分でも不思議なほどに…教会って凄い!と思った。居るだけで私達、夫婦間も癒して下さっている事を知った。「教会はキリストの体であり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ1:23

【2012/09/12 12:27】 | 未分類
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ある日、バスに乗って二人で外出した。
私は両替の必要があったので先に前の方に行き
両替して降りて待った。夫は数人の後に降車口に向かっていた。
すると運転手さんは降りると思われなかったのか夫が降りないまま
バスはあっという間なく次の停留所へと走り去った。
びっくりした私はあわてて「主よ。この事を感謝します。どうぞ、
運転手に夫が怒鳴りませんように。怒り出しませんように。」と
祈りつつ走った。次のバス停で夫は降りてこちらに向かって歩いて
きていた。「大丈夫。降りますと言わなかったの?」と聞くと
「ああいう時、すぐに言葉がでない。」と・・入院中言語訓練もあっ
たのだが夫は「家に帰っても、飯!風呂!寝る!」としか言わないから
言語訓練はいいからその分を体の訓練の方にまわしてくれ」と断っていた。
そのせいもあるのかな?その事も感謝しよう。
主よ。言葉がスムーズに出ますように。
それもみ言葉が、主をほめたたえる言葉が、祈りの言葉が、出る者と
なりますように。

【2012/09/12 09:00】 | 未分類
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今日は(8月29日)長崎医大病院を退院してから始めての診察日。
車椅子で退院した(リハビリのため転院)病院に歩いて診察に来れた。
感慨深いものがあった。夫はもっとそうだったのではないだろうか
脳卒中の担当の先生が「元気になってよかった。よかった。」と喜ん
で下さった。診察後お世話になったリハビリステーションに行くと、
そこの先生がびっくりされ「いや~、今度来る時は歩いてきますから
と言ってましたけど本当に歩いてきましたね。いや~びっくりした。
よくここまで頑張りましたね。」と本当に驚き喜んで迎えてくださった
そして9階(以前入院していた病室)にいきましょう。この姿をみたら
みんなの勤労意欲が高まるからと連れて行って下さった。
ナースステーションに行くと担当して下さっていた看護師さんもおられ
たのだが、キョトン!として最初はわからず暫くして「あっ!00さん!」
とやっとわかった様子。無理もありません。車椅子の姿しか見ておられない
のですから・・・・それから皆さん次々とやってこられ驚いておられた。
本当に主よ。感謝します。この方々の上にも主の救いがありますように。

【2012/09/10 09:00】 | 未分類
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キャンプが終わった後、毎週続けて礼拝に来るようになった。
教会がどのようなところかわかってきたのかも知れない。
散歩も夫なりに短時間コースと長時間コースとつくりその日の
体調、気分?に合わせて選んでいるようです。
その長時間コース中に教会を入れて、疲れたら教会に寄り休んで
いくようになった。この間も私のいない時にも来て休ませて貰って
いた。すごい変化である。
イエス・キリストを受け入れ本当の安息の場となりますように。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに
来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11;28
このみ言葉がいきて働き夫のものとなりますように。

【2012/09/09 09:00】 | 未分類
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今年は夫にとって初めての礼拝、初めてのキャンプと、新しい事づくめ。
出発の日、煙草をどうするのかな?(持っていくのかな?いかないのかな?)
と思っていたら持たずに迎にきて下さった車に乗り込んだ。
教会の方々と一緒に車に乗るのも初めて・・・
教会も夫の事を考えて下さり親子三人、同じお部屋にして下さった。
親子三人泊まるのも初めてである。夫にとって何もかも初めてで、団体行動が
得意でない人がよくきたなあと思う。
私は祈りの奉仕もあり、いろんなプログラムの時は長男に託した。
疲れたら部屋で休んでいてもいいよ。と伝えていたのだがほとんどのプログラム
に参加し後の方に座って見ていた。朝は自由に散歩したり、朝のつどいでラジオ体操
したり夫なりに楽しんでいた。一番感動したのが「ゴスペルタイム」の時だったよ
うで「あんな小さい子がマイクを握って歌うのにはびっくりした。」と感動してい
た。(親子で子どもたちをメインに賛美された)
k牧師がミニストりーの時を持ってくだり、長い時間夫の話を聞いて下さった。
夫が「神がいる事はわかっています。いつかは信じないと思っています。」と言うと
「じゃ、今信じましょうか」と言われると「ちょつとお尻が痛くなったので、帰る」
とするっと抜けてしまった。主を信じてあわてず、あせらず、神の時を待とう。
主はもう十字架の愛で、包んでいて下さるのだから・・・・

【2012/09/08 09:00】 | 未分類
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教会キャンプが8月14日〜16日に諫早自然青少年の家で開かれる事になっていた。
私は夫の体の事を考えるとちよっと無理かな?と思いつつ主のみ心を求めて祈っていた。
祈り求めながら今年は残って教会での祈りかな?と思っていた。しかし8日のデボーション
の箇所(ヨハネ9章)より何度も「行って」というみ言葉が心に入ってきた。
主は行く事を望んでおられる。しかし夫に言い出せないでいた。
次の礼拝(12日)がポイントかな?と思い来れるように祈っていました
12日、キャンプに参加するために愛知から帰ってきた長男と共に夫が再び礼拝に来ました。
礼拝後話しながらJ牧師がキャンプに誘われたら『行きます』と答えたと・・私の方がびっくり
してしまった。み言葉を与えられながら、不信仰だった事を悔い改めた。
私は不信仰でも教会の助けをうけて『行って』とみ言葉どおり教会キャンプの参加へと導いて
下さった。主のみ名をほめたたえます。

【2012/09/07 12:09】 | 未分類
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ある日友達と約束したからと一人で電車に乗り出かけた。
大丈夫かな?と少し不安だったが祈って主に委ねる事にし私は教会へ
お昼自宅へ帰って見ると戻ってきていた。
聞くと帰りはバスで帰ってみようとバスに乗ったら乗りちがえて
見知らぬ所で終点です。と言われてびっくりして運転手に聞いて
乗りなおして帰ってきたと・・・主よ。守って下さって感謝します。
ふと机の上を見ると煙草が・・思わず「脳梗塞には煙草が一番悪い
って言われたでしょう!」と取り上げた。後で夫は怒りながら「嫌が
らせ見たいな事をするな!」と言った。数日すると散歩の帰りに又
買ってきて吸っていた。それを見て悲しくて悲しくて「お父さん、又
あんな辛い思いをしたいの?私は嫌だ!」と言いながら涙がとまらなく
なった。雨がひどく降っていたけれど傘を差し外に出た祈るために・・
一つ一つを泣きながら感謝していると、イエス様の愛の深さを想わされた。
私達は主の善くして下さった事をすぐ忘れてしまう者でも主は私達がどう
であろうと愛しぬかれた聖書には「その愛を残るところなく示された」とある
その愛の深さを想うとき次から次へと涙があふれた。
すると不思議な平安がきた。主は最善を成しておられる。
煙草を吸い始めた夫を今も変わらぬ愛で愛しておられる。
感謝しょう。主を信じて感謝しよう!

【2012/09/07 09:00】 | 未分類
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ここ数日、散歩に誘っても行きたがらなかった夫が朝だったせいか素直に応じ一緒に散歩へ…久々なので少しきつそう。 帰りがけに朝のラジオ体操に行く数人の子供達とすれ違いました。その子供達に自分の方から「おはよう!」と声をかけていました。以前の夫には考えられない事です。病気をしてから本当に変わりました。ある時が言いました「元気な時は人の助けなんかいらん!と思っていた。しかし人の助けなくしては生きられない」と弱さを知る事は凄い事だと思います。以前の夫は片意地張って、突っ張って生きていましたから(漁師という男の世界で生きていたので、そうでないとやっていけなかったのかもしれません)弱さを知り、本当の自分を少しづつ取り戻している夫は、その弱さを、ありのままの自分を受け入れ愛して下さっているイエス・キリストの十字架の愛を知ったらもっと本来の夫の姿が、善さが、現されるのではないだろうか。雷の子と言われたヨハネがイエス様の側にいて愛の人に変わったように。主に期待して信じて祈っていきます。

【2012/09/06 08:13】 | 未分類
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今日は退院して3日目、日曜日。私は早朝礼拝から教会へ行っているので夫に「今日、礼拝に行く?」と聞くと「ああ」と答える。9時すぎには迎えに来る事を告げ家を出た。9時すぎに自宅に戻ると、準備しており二人で歩いて教会へ向かった。夫にとっては初めての教会であり礼拝です。今までも何度かチャンスはあったのだが頑なに拒み続けてきた。その夫が自分の意思で歩いて教会へ向かってる。皆さん、驚きの声と共に喜んで迎えて下さった。(この日が来るように皆さん祈っていて下さった。)私達家族にとって夫が教会に、礼拝に行く事事態が奇跡である。(以前は「きょうかい」の「き」の字もいうな!という剣幕でしたから…)本当に主の御名をほめたたえます。夫は家庭では見た事もない笑顔をしています。神は不思議をなさる方。主の計り知れない愛に感謝します。

【2012/09/05 13:30】 | 未分類
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脳梗塞で緊急入院した夫が、最低でも3ケ月はかかるでしょう。と言われていたが81日目の7月27日に退院しました。左半身麻痺を起こし車椅子だった夫が歩いて退院しました。その背後には教会と多くの方々のとりなしの祈りがある。 夕方リハビリのため二人で散歩しながら(結婚して38年二人で散歩したのは初めて)神様の憐れみと深い愛を感じた。これからが真の夫婦になるための、神が望んでおられる夫婦になるためのスタートのような気がする。 愛するイエス様へ 主よ。退院する事ができ感謝します。 くじけそうになる時 朝毎の早天祈祷で「喜びの声を、賛美の声を上げる」度に力を下さいました。 弱り果てた時、各礼拝の中で語って下さり慰め励まして下さいました。あなたの「言」がどんなに力になったかわかりません。経済的な事もその時その時祈りに応えて必要を与えて下さいました。この病を通してあなたは夫を私を主の方法で整えて下さっています。与えて下さった「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」マタイ4:
19のみ言葉の成就のために… 主よ。喜んであなたに従えますように。 私達を憐れんで下さり喜んで十字架を負える者にして下さいますように。本当に深い愛をいつもいつも注いで下さって感謝します。 あなたの御名を心からほめたたえ感謝します。

【2012/09/04 13:34】 | 未分類
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退院前の試験外泊も19日と決まりました。この日はリハビリの方も一緒にこられ日常生活に支障はないかどうか見ていかれるとの事、19日リハビリのスタッフの方と一緒に病院からバスを乗り継いで(訓練を兼ねて)帰って来ました。日々の訓練がいきて4階迄登ってきました。(担架で運ばれた夫が自分の足で階段を上がってきたのです。)スタッフの方が、トイレ、バス、リビングと測定しながら(病院に帰り退院まで我が家に合わせての訓練のため)支障がないかどうか確認していかれ、靴を履く時の低い椅子、シャワーのための椅子が必要と適切な助言をして下さり帰っていかれました。夫は久しぶりの我が家で「ほっ!」としている様です。次の日、今度は私とバスで病院へ、病気のせいでしょうか?方向感覚がまだうまく取れず気をつけていないと逆方向に歩き出したりします。2~3日は外泊できると思ってたらしくちょっと不満そうでしたが、後1週間の辛抱です。「俺には、その1週間が長い。」と言ってました。

【2012/09/03 15:43】 | 未分類
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