
カウンターが急に動かなくなりました。
よく見てみると後ろの小さなネジがありません。
カウンターを入れていたバックをひっくり返して
見るのですがありません。
感謝して急遽セロテープを貼り応急処置をしました。
礼拝を終え自分の座っていた椅子の下に何か小さな光るものが
よく見るとカウンターのネジでした。
小さな小さなネジです。
でもこの小さなネジがなかったらカウンターの機能をしません。
感謝して小さなネジをはめ込みました。
私たちもどんな小さな者であっても
なくてはならない存在です。
自分では役に立たないと思ったとしても
主はかけがえのない存在として愛して守っていて下さる。
そして一人一人に役割がある。
自分のポジションにつく時正しく機能する事を
再び思わされました。
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又急に寒くなりました。
2月5日の殉教記念聖会の日は
雪マークが出ているとの事で皆で
雪にならないように祈っています。
今日はディサービスの日です。
火曜日は送り出す事ができないので
準備して出てきました。
待たせないで準備して待ってることが
できますように。
そして又夫も殉教記念聖会に行けますように。

日曜日は感謝と賛美祈祷が5時から
始まるため、夫の1日の食事分を準備して行くには
どうしても3時半に起きないと間に合いません。
家を遅くても4時45分には出ないと間に合いません。
夫も物音で目を覚ましてしまうのだと思います。
それでも寝ている時が多いのですが
今朝は4時過ぎ起きたら食台に座っています。
「お父さん、もうご飯を食べるの?
まだ4時過ぎだよ。」
「ああ、食べる、目が覚めてしまったで・・・」と
今朝は本当に早い朝食になってしまいました。」

昨夜はちょつと教会からの帰りが遅くて
10時過ぎてしまいました。
いつもだと夫は休んでいるのですが
起きていました。
チャペルコンサートで頂いたお菓子を
出すと起き上がり食べています。
それから、私は洗濯物を絞り干しました。
凍りませんように。
ある程度雫が落ちてしまわないと
部屋には干せません。
この事も感謝します。

なんと!なんと!
干したタオルがバリバリに凍りました。
手絞りだったので水分が多かったからでしょうか?
お天気にもかかわらず慌てて部屋に干しました。
主よ。
洗濯機が壊れたことも感謝します。
脱水できないことも感謝します。
私は愛されています。
私は祝福されています。
主の御名をほめたたえます。


今日は良いお天気になりましたが
風がとても冷たいです。
今日はディサービスの日です。
散髪、入浴を済ませ9時すぎお迎えの方とともに行きました。
頭がちょっと寒いかもしれません。
散髪して坊主頭なので・・・・
私はこれから洗濯物を絞って干します。
脱水できなくなったので・・・
昔の人は凄いと思います。
洗う事も、絞る事もすべてやっていたのですから・・
賛美をしながら干します。
いいお天気なので早く乾きますように。


今日は良いお天気になりましたが
風がとても冷たいです。
今日はディサービスの日です。
散髪、入浴を済ませ9時すぎお迎えの方とともに行きました。
頭がちょっと寒いかもしれません。
散髪して坊主頭なので・・・・
私はこれから洗濯物を絞って干します。
脱水できなくなったので・・・
昔の人は凄いと思います。
洗う事も、絞る事もすべてやっていたのですから・・
賛美をしながら干します。
いいお天気なので早く乾きますように。
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今朝、早天祈祷会から帰って
朝食をとっていると、
夫が私を見てベッドの下を指差しました。
見ると枕が落ちています。
どうやら取ってくれという事らしいです。
お父さん、口があるでしょう。
言葉で言ったらいいのにと言うと
ニャーとしています。
ますます言葉が話しづらくなると思うのですが・・・

今朝、朝食の準備をしていると
夫も起き出し食卓に座わろうとしているので
「ご飯、今食べる?」と聞くと頷きます。
早い朝食ですが・・・・
私は早天祈祷会のため教会へ
帰って自分の朝食を取り
夫の昼食、夕食を準備し
デイサービスへ行く為の準備をしておきます。
それを見ながら夫が「まだこんどが!」と
(まだ来ないだろう)
まだだけど準備をしておくから・・・
教会に私が着いてから
ディサービスの方から「9時10分前後に行きます。」と
連絡がその旨を伝えるために夫に連絡すると
夫は「はい」と返事を
なんだか今まで夫に「はい」と返事された事のない私は
ちょっと驚いて変な感じです。

私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け
救いの望みをかぶととしてかぶって、
慎み深くしていましょう
神は、私たちが御怒りにあうように
お定めになったのではなく、
主イエス・キリストにあって救いを得るように
お定めになったからです。
主が私たちのために死んでくださったのは、
私たちが目ざめていても、
眠っていても、
主とともに生きるためです。
1テサロニケ 5 : 8 ~ 10

クリスチャンになってすぐの頃、この絵と出会って
とても惹かれるものがありました。
今日始めて作者を知りどういう背景で書かれたかを
知りました。
そしてさらに感動を受けました。
そのまま載せてみます。
ーーーーーデューラー 「祈りの手」ーーーーーーー
デューラーは子沢山の貧しい鍛冶屋の子として生まれました。
小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。
大きくなって自分の夢を叶えるため、当時とても有名であった画家を訪ね、
運良く弟子入りを許されました。
でも、貧しいデューラーには絵の具やキャンバスを買うお金がありません。
せっかく有名な画家の弟子になれても、満足に絵を描けずにいました。
デューラーと同じように、貧しい一人の弟子がいました。
同じような境遇で、すぐに意気投合し、仲良くなりました。
二人とも、なかなか絵も描けず、日々の生活費に事欠く始末・・・。
その友達はデューラーに言いました。
「このままでは二人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。
だから、一人が働き、もう一人がそのお金で絵の具を買い、絵を描こう。
そして4年経ったら交代しよう。
まず僕が働くから君は絵を描いてくれ!!」
その友達は炭坑で働き、デューラーを支えました。
時は流れ、デューラーの才能が開花し、画家として個展を開くまでになりました。
その個展で初めて絵が売れたので、デューラーはそのお金を持って、
大喜びで友達の家を訪ねました。
「絵が売れた。だから、このお金で思う存分絵を描いてくれ!」
しかしその友達は、首を振りました。
「おめでとう。でも、僕はもう絵は描けない。」
彼の手は、炭鉱のつらい仕事で、指が曲がってしまい、
筆を動かし繊細な絵を描くことはもうできなくなっていました。
デューラーは悲しみました。
自分の犠牲になって、一生懸命に働いてくれた友達のことを。
そして友達の家を出て行きました。
自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。
自分が友達の夢を壊した…。深い罪悪感。
日々が過ぎて、彼はもう一度友達の家を訪ねました。
小さな声が部屋の中から聞こえてきます。
それは、その友達の祈りでした。
歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っています。
「神様、デューラーは私のことで傷つき、自分を責め、苦しんでいます。
どうか彼がこれ以上苦しむことがありませんように。
そして、私が果たせなかった夢までも、彼が叶えてくれますように。
彼を守り、彼を祝福してください。」
自分のことを恨んでいるに違いないと思っていたのです。
その彼が、自分のことではなくボクのことを一生懸命祈ってくれている。
友人の祈りを静かに聞いていたデューラー。
祈りが終わった後、彼に懇願しました。
「お願いだ。君の手を描かせてくれ。君のこの手でボクは生かされたんだ。
君のこの手の祈りでボクは生かされているんだ!」
そして、感謝の心をこめて「祈りの手」が生まれました。
この祈りの手には、こういう事が隠されていたのです。
だから人を惹きつけるものがあったのでしょう。
これを知るまではイエス様の手かなあと思っていました。
イエス様の手ではなかったけど
キリストの心をもった人の手だなあと思わされました。

今日は市役所から調査員の方が来られて
要介護認定調査がありました。
本人に氏名、生年月日の質問から始まり
いろいろの質問に答えてました。
時には場違いの話もしてましたが・・・
意外と短時間で終わりました。
調査員の方も
スッーと答えて下さったので
早く終わりましたと言って帰られました。
この調査で要介護 1 なのか 2なのか
決まります。
主のみ心がなりますように。




今日、Sさん家に祈りに行きました。
Sさんの家は長崎でも結構高台の方にあり
山が近いせいか、よく鳥たちが飛んで来ます。
ましてや野鳥用に、ご主人がみかんや穀類の餌を
縁台に置いておられるので沢山、
餌を食べに飛んでくるようです。
私が行っている時も祈り終えてふっと目をあげると
こんなにたくさんの雀たちが飛んできて
餌をついばんでいました。
その雀たちを見ていると
一羽の雀さえも養っておられる主は
私たちのことをいつもいつも目を留めていてくださる
と励まされて帰ってきました。

夫は相変わらず食欲旺盛です。
朝食、5時半にして、私が早天祈祷会から
帰って食事をしていると、自分も食べたくなったのか
食パンを出して焼いています。
そして2枚目も焼いています。
大丈夫かな〜?
感謝して祈ります。

私たちは、私たちを愛してくださった方によって
これらすべてのことの中にあっても、
圧倒的な勝利者となるのです。
ローマ 8 : 37
そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から
私たちを引き離すことはできません。
ローマ 8 : 39

今日はディサービスの日です。
先週、雪が降ってディサービスが
お休みだったので久々のディサービスです。
まだ、はやかどが(まだ早い)と言いながら
準備しています。
お部屋は洗濯ものだらけです。
洗濯機の脱水機が壊れてしまって
手で絞って干しているのでなかなか乾きません。
洗濯のたびに感謝して絞って干しています。
洗濯機が与えられますように。

患難さえも喜んでいます。
それは患難が忍耐を生み出し
忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終ることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ 5 : 3 〜5

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、
不敬虔な者のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。
情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが
私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対するご自身の愛をあきらかにしておられます。
ローマ 5 : 6 〜 8


今朝の長崎の雪です。( 8時40分 )
とてもバイクを走らせる状態ではありません。
歩いて教会に行きました。
帰りはあんなに積もってた雪が溶けています。
しかし、日陰や屋根の雪は残っています。
今夜、徹夜祈祷会に行くのにバイクで
行くかどうか迷っています。
また少しふってきました。
行く前に主に祈って聞いてみます。

わたしは、あなたの行いを知っている。
見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、
あなたの前に開いておいた。
なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、
私のことばを守り、私の名を否まなかったからである。
黙示録 3 : 8