FC2ブログ
5月8日、63歳の夫が脳梗塞で緊急入院、一度は命が危ないと言われ、左半分は麻痺となった。9月の退院と言われつつ、7月の末には、歩けるようになり、4階にある我が家へ自分の足で歩き退院し帰宅した夫。
20190711131011dad.jpeg


彼は主を信じた。
主はそれを彼の義と認められた。
創世記15章6節

子どものいなかったアブラムを神さまは
外に連れ出して、彼に語られました。
「さあ、天を見上げなさい。
 星を数えることができるなら、
 それを数えなさい」と。
中東に行って空を見上げると、
今でもたくさんの星が見えます。
当時は数え切れないおびただしい数の星が
見えたことでしょう。

その空を見上げているアブラムに、
主はさらに続けて言われました。
「あなたの子孫はこのようになる」と。
その時アブラムは信じたのです。
聖書にはこう書いてあります。

彼は主を信じた。
主はそれを彼の義と認められた。

アブラムは信仰の父となり、
主の祝福を豊かに受けることになったのです。
この時、
とてもこの言葉を信じれる状況では
ありませんでした。
神の語られることは
人の目から見れば不可能でした。
人間的にはあり得ないことでした。

しかし、
アブラムは神のことばを信じたのです。
最悪と思える状況の中て、
不可能と思える状況の中で、
神の語られる言葉を、彼は信じたのです。

あなたにも同じことが起こります。
最悪の時に、
神さまはあなたに不可能と思える約束を
語られることがあるでしょう。
あり得ないと思いたくなるような言葉が
与えられるかもしれません。

でも本当に神が語られたなら、
もちろん神が語られたかを
きちんと吟味しないといけませんが、
必ず成就するのです。

その神の言葉を信じるのです。
その時主は、あなたのその信仰を見られ、
約束の言葉を成就し、
必ず祝福してくださいます。

「聖書って、こんなにおもしろい」より
スポンサーサイト

【2019/07/27 16:21】 | 未分類
トラックバック(0) |

2019072706052847c.jpeg


今日はカンボジアの子供達が長崎に来ます。
とても楽しみです。

上の写真は子供達が白馬キャンプで
最優秀作詞賞をいただいた時のものです。

主は素晴らしいお方です。
この賛美を聞いているだけで感動します。

「プレヤソンクルワ」
〜私の救い主〜
かみさまは わたしを 愛し 命を与え 救い与えた
かみさまは わたしを愛し 罪を贖い 赦し与えた
イエ スさま イエ スさま わたしの主
イエ スさま イエ スさま わが救い

カンボジアの子供達の口に、この歌詞を与えられた主
本当に凄いです。
礎の石の名のごとく、全世界に礎の石として
この賛美が用いられますように。


【2019/07/27 15:22】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190718095733679.jpeg



「アブラムよ。恐れるな。
 わたしはあなたの盾である。
 あなたの受ける報いは非常に大きい。」
          創世記15章1節

アブラムは神に語られた通りに生まれ故郷、
父の家を出て神が示す地、カナンに向かいました。
しかし、子どもが与えられませんでした。

神から
「アブラムよ。恐るな。私はあなたの盾である。
 あなたの受ける報いは非常に大きい」
と祝福のことはを語られた時、
思わずもアブラムは言いました。
「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。
 私にはまだ子がありません。
 私の家の相続人は、
 あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか」
さらに、アブラムは続けて言いました。
「ご覧ください。
 あなたが子孫を私に下さらないので、
 私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と。

おそらく、アブラムにとっては
神に従ってきたにも関わらず、
子どもも与えられず、
祝福が見えない最悪の状況だったのでしょう。
旧約においては子どもは神の祝福の現れでしたから。

しかし神はアブラムに臨まれて、
こう言われたのです。
「その者があなたの跡を継いではならない。
 ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、
 あなたの跡を継がなければならない」と。

こののち、彼を外に連れ出して空を見上げさせ、
この星のようにあなたの子孫はなると語られました。
そしてそれをアブラムは信じるのです。
そして忍耐の末に、その通りになります。
アブラムは信仰の父となるのです。

私たちも主に従ったにも関わらず
主の祝福が見えない、
感じれないという時があります。
最悪と感じ思える時があります。
でもそこで主はしばしば語って来られます。

その最悪と思える時にこそ、
主イエスの言葉に耳を傾けてください。
あなたの人生にとって
とても大切なことが語られるからです。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/27 06:02】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190625124815d1e.jpeg


だれでも、自分を高くする者は低くされ、

自分を低くする者は高くされます。

マタイ 23 : 12

【2019/07/27 05:55】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907161404307b3.jpeg


あなたは、
あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。
           創世記12章1節

信仰の父と言われているアブラハムは、
75歳の時
「あなたは、あなたの生まれ故郷、
 あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」
と神から語られました。
彼には財産も安定した生活も家族もいました。
しかし、もし従うならば、
「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
 あなたを祝福し、
 あなたの名を大いなるものとしよう。
 あなたの名は祝福となる。
 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
 あなたをのろう者をわたしはのろう。
 地上のすべての民族は、
 あなたによって祝福される」
という約束を伴ったものでした。

年老いて現役を引退してもいい年になっていた
アブラム(後のアブラハム)は、
主がお告げになったとおりに出かけたのです。
彼は目の前にある人の計算できる幸せではなく、
永遠の神の言葉を信じて従ったのです。
従わずにカランにそのままいたとしても、
彼の老後はある程度計算できました。
十分豊かな生活ができたことでしょう。

しかし、彼は神のことばを信じ、
神のことばに従ったのです。
そしてアブラハムは信仰の父と言われる祝福を
まさに約束通り忍耐の末に受けるのです。

私たちも、
目の前にある人の計算からくる幸せに振り回されることなく、
真実な神のことばを聞き、
その神のことばに従っていきましょう。
必ず神さまは約束のことば通りに
溢れる祝福を与えてくださいます。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/25 18:10】 | 未分類
トラックバック(0) |
2019072516562124d.jpeg


もしだれかが何か言ったら

「主がお入用なのです。」と言いなさい。

そうすれば、すぐに渡してくれます。

これは、預言者を通して言われた事が

成就するために起こったのである。

「シオンの娘に伝えなさい。

『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。

柔和で、ろばの背に乗って、

それも、荷物を運ぶろばの子にのって。』」

そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。

マタイ 21 : 3 ~ 6

今朝のデボーションの箇所より

【2019/07/25 17:07】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907251141446b1.jpeg


今日はお休みですが、
白馬キャンプに行っておられる教会の奉仕のために
早天祈祷の時間集まって祈りました。

帰って来ると、ディサービスに行く準備をしていましたが
それからお風呂を沸かして入浴をすませてディサービスへ
今日も蒸し蒸しするお天気ですが守られますように。

【2019/07/25 11:45】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190711093938066.jpeg


国と力と栄えは、
とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。
     マタイの福音書6章13節後半

主の祈りの最後は
「国と力と栄えとはあなたのものだからです」
という祈りで閉じます。
私たちが普段祈っている祈りは
「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」
です。

これは、国と力と栄え、
つまり全てのもの、すべての栄光は、
あなた、父なる神のものですということです。

最後にすべての栄光を神に、
キリストに返すのです。
私たちは、
神がしてくださったすばらしい御業、
愛と恵みの数々を
ともすれば自分の努力や信仰ゆえに
勝ち取ったかのように思い、
その栄光を自分や人に対して
してしまうことがあります。

日本人は、特に
人に栄光を返す傾向が強くあります。
私たちは、よくよく注意をして、
まことの神である父なる神さまに、
そして主イエス・キリストに
すべての栄光をお返ししましよう。
それが正しいことであり真実なのですから。

そして、
主の栄光を見続けさせていただく者となりましょう。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/24 14:30】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190620093137201.jpeg


モーセが手を上げているときは、
イスラエルが優勢になり、
手を降ろしているときは、
アマレクが優勢になった。
出エジプト記17章11節

イスラエルの敵であったアマレクが
レフィデムに来てイスラエルと戦いました。
モーセはヨシュアに
幾人かを選んで出て行き、
アマレクと戦うようにと言いました。
ヨシュアはモーセが言った通りに出て行き
アマレクと戦いました。

そのときモーセは
アロンとフルを連れて丘の頂に登りました。
モーセは丘の頂に立ち
神の杖を手に持って手をあげました。
モーセの手が上がっている時、
イスラエルは優勢になり、
手を降ろしているときは、
アマレクが優勢になりました。

しかし、モーセの手が重くなりました。
アロンとフルは石を取り、
それをモーセの足元に置いたので、
モーセはその上に腰掛けました。

アロンとフルは、
ひとりはこちら側、
ひとりはあちら側から、
モーセの手を支えました。
それで、モーセは日が沈むまで、
しっかりそのまま
手をあげ続けることができました。

ヨシュアは、
アマレクとその民を
剣の刃で打ち破り勝利を取りました。

戦っていたのはヨシュアです。
しかしその勝敗の鍵は、
モーセの手が
上がっているかどうかにかかっていました。
これはモーセのとりなしの祈りを指しています。

モーセは旧約聖書の中に出てくる
最高のとりなし手です。
そのモーセでさえ、
一人では手をあげ続けることは
出来なかったのです。

つまり、一人では
祈り続けることは出来なかったのです。
アロンとフルが石を置き、
腰掛けてアロンとフルに支えられて
モーセはイスラエルが、
ヨシュアによって勝利を取るまで
祈り続けることができたのです。


私たち人間は肉を持つています。
肉は弱いのです。
ゲッセマネでさえ
眠ってしまった弟子たちのように、
聖霊の助けがなければ
とても祈り続けることは出来ないのです。

弟子たちは共に集まって祈っていました。
そこに聖霊が臨んで、
彼らは全く新しく創りかえられました。

新約時代の今、
聖霊の助けの中で、
教会に共に集まって祈る時、
私たちは聖霊の助けと恵みの中で、
約束の成就を見るまで、
祈り続けることができるのです。

戦っている愛する者のために、
教会に集まって
共に戦いの祈りの手をあげ続けましょう。

病気と戦っている人がいます。
社会の中で、孤独の中で、
学校にも職場にも戦っている人がいます。
教会の中にもいるでしょう。
サタンとの戦いの中で
疲れ果てている人もいます。

あなたと私が教会に集い、
祈りの手をあげ共に支え合いながら戦う時、
主イエス・キリストの圧倒的な勝利が与えられるのです。


「聖書って、こんなにおもしろいより」

【2019/07/24 13:30】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190724114401212.jpeg

20190724114359212.jpeg

201907241144026e3.jpeg

201907241143587e2.jpeg

20190724114357c98.jpeg


白馬の八方尾根の花たち。

リフトで登られたそうです。


【2019/07/24 13:00】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190702141002375.jpeg



私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
          マタイの福音書6章13節

「主の祈り」は最後に
「私たちを試みに合わなせないで、悪からお救いください」
と祈ります。

私たちと言われていますから、
自分だけではなく、自分も含める私たち、
教会、家族、仲間や友人、同僚や同胞、
のためにも祈りましょう。

試み、つまり試練や困難に会わないように。
もちろん、御心の試練や困難は
私たちを成長させ祝福となります。
でも不必要な試みには会わないですむように、
余計な回り道をして傷つくことのないように、
主に祈りましょう。

私たちの国が、教会が、学校や会社が、
主の御心と違う道を選んで
試みに会わないですむように祈りましょう。

そして、
主の許しの中で起こってきた困難、問題、
苦しみや悲しみ、病気や呪いと思えるような状況、
そのような悪から、
まるでサタンの仕業と思えることから、
悪霊に取り憑かれたと思えるような状況から、
救い出してくださるように
主イエスに祈り叫びましょう。

主はその叫びを聞き、
祈りに必ず答えて助け出し、
救い出してくださいます。

「聖書って、こんなにおもしろいより」

【2019/07/24 12:19】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190718095725fa3.jpeg


今朝、早天祈祷を済ませて家に帰ると
ディサービスへ行く準備を全て
自分でしていました。

靴も玄関に出し、椅子も準備してありました。
今日、教会の皆さんは白馬キャンプに行っているので
教会奉仕で、いつもより帰宅が遅くなるので
主よ。その間守って下さいますように。

【2019/07/24 12:02】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190724114404d17.jpeg

20190724114405fda.jpeg


昨日、教会は白馬キャンプへ出発しました。
祝福が豊かにありますように❣️

【2019/07/24 11:57】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907180957276a4.jpeg


「みなに仕える者になりなさい。」
マタイ 20 : 26

「あなたがたのしもべになりなさい。」
マタイ 20 : 27

「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、

かえって仕えるためであり、また、

多くの人のための、贖いの代価として、

自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」

マタイ 20 : 28

イエス様のことばが心に深く響きます。

【2019/07/24 11:55】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907231645273a9.jpeg


懐かしい賛美が・・・


谷川の流れを慕う鹿のように
わがたましいはあなたを慕い求む

主イエスただひとり
わが心 満たす
わが盾 わが力 あなたを愛す


びーちゃんのおじいちゃんが賛美して下さったそうです。
PEACEのブログより。



【2019/07/23 17:00】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190718095724163.jpeg

21日は主日礼拝でした。
ひどい雷と雨だったので、夫に聞きました。

「ひどい雨だけど、礼拝どうする?」
首を横に振り「いい、いかん」と・・・
私が5時過ぎに家を出ようとすると、
呼び止め「雨が小降りだったら迎えに来てくれ」と・・・

イエス様は憐れみ深いお方です。
時間になると小降りになり、迎えに行きました。
礼拝中はまた降り出したのですが、帰る頃は
又小雨に・・・・

本当に主の愛を感じました。
それと自分の不信仰を思わされました。

【2019/07/23 16:42】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907180957353db.jpeg


先週の金曜日から、断食祈祷に入ったこともあって
ちょっとバタバタと教会へ・・・

家にゆっくりいる時が出来ませんでした。
でも主が夫を守っていて下さって感謝です。

【2019/07/23 16:33】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190626112841c47.jpeg


私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
           マタイの福音書6章12節

「主の祈り」の中には赦しの祈りが出てきます。
これは、とてもとても大切な祈りです。
十字架の恵みと力を解き放つからです。
「私たちの負い目をおゆるしください」と言って、
自分の罪を悔い改めます。
主の完全な赦しをいただいて、
自分も他人の罪を赦すのです。

この悔い改めと赦しはとても大切です。
十字架にしっかりと目を向け、
自分の罪が完全に赦されたことをしっかりと受け取りましょう。
あなたも私も完全に、
そうです、完全に赦されているのです。

そして、その罪さえも悔い改めたならば
神の憐れみの中で
益としてくださり最善へと変えられるのです。
それが十字架の計り知れない恵みの深さ大きさです。
そして人の罪を赦すのです。

人から受けたいろんな罪、
侮辱、屈辱、暴力、裏切り、
いろんなことがあると思います。
とても許せないこともきっとあることでしょう。

許せなくても当然で当たり前と
思えることもあるかもしれません。
それでも、十字架を見上げて、
自分が赦されたことの恵みの大きさと愛を噛みしめて、
主に助けを求め祈るのです。

そして「私たちに負い目のある人を赦しました」
と自分に向かって宣言しましょう。
赦すなと叫んでいるサタンに向かって、
はっきりと宣言しましょう。

その時、あなたは自由になります。
そしてあなたの祈りは天に届き答えられます。
十字架の力と愛が、あなたの祈りに注がれ流れてきます。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/19 15:59】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190618073137be2.jpeg


私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
          マタイの福音書6章13節

「主の祈り」は最後に
「私たちを試みに合わなせないで、悪からお救いください」
と祈ります。

私たちと言われていますから、
自分だけではなく、自分も含める私たち、
教会、家族、仲間や友人、同僚や同胞、
のためにも祈りましょう。

試み、つまり試練や困難に会わないように。
もちろん、御心の試練や困難は
私たちを成長させ祝福となります。

でも不必要な試みには会わないですむように、
余計な回り道をして傷つくことのないように、
主に祈りましょう。

私たちの国が、教会が、学校や会社が、
主の御心と違う道を選んで
試みに会わないですむように祈りましょう。

そして、
主の許しの中で起こってきた困難、問題、
苦しみや悲しみ、病気や呪いと思えるような状況、
そのような悪から、
まるでサタンの仕業と思えることから、
悪霊に取り憑かれたと思えるような状況から、
救い出してくださるように
主イエスに祈り叫びましょう。

主はその叫びを聞き、
祈りに必ず答えて助け出し、
救い出してくださいます。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/19 15:53】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190718095722bea.jpeg



私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
          マタイの福音書6章11節

「主の祈り」は御名をあがめ、
御国が来るように祈った後、
とても具体的な祈りになります。

「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」と。
今、日本で日ごとの糧を今日もお与えくださいと
真剣に祈っている人はほとんどいないと思います。
神の恵みの中で毎日の糧は与えられているからです。
でも、毎日いろんな必要があると思います。

経済、つまりお金だけではなく、
人や能力、仕事のこと、学校のこと、
結婚や家庭の事、人生のいろんな選択等々、
その一つ一つを丁寧に具体的に求めるのです。
遠慮せず厚かましいぐらいに
大胆に具体的に求めるのです。

主イエスは、
あなたの必要をよく知っておられて、
その一つ一つに見事な最善最高の答えを与えてくださいます。


「聖書って、こんなにおもしろい」より


【2019/07/18 12:37】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907180907418aa.jpeg


今日のディサービスのお迎えは早いでした。
9時過ぎには来てくださいました。

ここ2 ~ 3日は体調も良いようです。
自分で靴下も履いています。

ズボンも靴下も履けなくて手助けしないと
いけない時もあります。
今日の半日、楽しめますように。

【2019/07/18 09:12】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907161404373fb.jpeg


ところが、良い地に蒔かれるとは、

みことばを聞いてそれを悟る人のことで、

その人はほんとうに実を結び、

あるものは百倍、あるものは六十倍、

あるものは三十倍の実を結びます。

マタイ 13 : 23


主よ。
みことばを聞いて悟ることができ
実を結ぶことが出来ますように。

【2019/07/17 12:28】 | 未分類
トラックバック(0) |
2019071109393510a.jpeg


御国が来ますように。
ルカの福音書11章2節後半

イエスさまが弟子たちに教えられた「主の祈り」は、
まず「父よ。御名があがめられますように」と祈った後、
さらに続けて、こう祈りなさいと主は言われました。
「御国が来ますように」
これは天で御心が行われるように、
このサタンが支配している地上でも、
父なる神の御心が行われるように祈りなさいと言われたのです。

つまり、神が完全に治められて、
神の完全な支配が現されるようにということです。
支配というと日本人は悪いイメージを持ちますが、
そういう意味ではありません。
愛である憐れみに富んでおられる神さまの
最善にして最高の御心が、
この地上に現されてくるようにということです。

聖書のまことの神様は、
私たち一人一人を命をかけて愛して下さっています。
この上もない最高の愛で、愛して下さっています。
ですから、この方の御心がなる時、
必ず一人一人に
最善にして最高の御業と導きが与えられるのです。

ですから、そのことを祈った上で求める時、
求めた通りのものが与えられる時もあれば、
求めたこととは違う導きが現される時もあります。
しかし、それこそが実はその人にとって最善なのです。

私たちは自分にとって
何が一番良いかをよくわかっていません。
でも神様は知っておられます。
そして
その一番良い最高のものを与えてくださり導いてくださるのです。

だから「御国が来るように」と祈り、
それから求めるのです。
とはいえ、思わずも主に向かって、
心から求めたり、助けてと叫ぶとき、
主は順番が違うなどとは言わず、
その心の叫びと求めを聞いてくださいます。

安心して求め叫んでください。
ただ毎日の祈りの生活の中で、
この「主の祈り」を、
その意味の深さを知って心を込めて祈る時、
より大きな神の愛と恵みに預かることができるのです。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/16 18:30】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190620093139d43.jpeg


父よ。御名があがめられますように。
      ルカの福音書11章2節前半

弟子たちがイエスさまに祈りを教えてくださいと言った時、
イエスが弟子たちに教えられたのが「主の祈り」です。
この祈りは全世界で最も祈られている祈りでしょう。

この「主の祈り」の最後の方に
「試みに合わせないで悪よりお救いください」
という助けを求める叫びにもにた祈りも出てきます。
私たちは日常生活の中で、
困難に出くわすと「あれを何とかして下さい」とか
「この病気を直してください。この困難から助け出してください」
「この苦しみを、これ以上放っておかないで救って下さい」
というように祈ります。

もちろん神さまは、
これらの祈りをしっかり聞いて答えてくださいます。
でも、この「主の祈り」では、
それらを祈る前にまず、
こう祈りなさいと言われたのです。

「父よ。御名があがめられますように」と。
つまり天におられる父なる神に目を向け、
その神の御名、
つまり神の実質である神の愛(アガペー)、
聖(きよさ)、真実(裏切ることなく偽ることがない)、
恵みと憐れみに満ちておられる等々が、
あがめられ、ほめたたえられるようにと。

求めて叫ぶ前に、
まず神に目を向けて、
神ご自身の素晴らしさをほめたたえなさい
と言われたのです。

確かに、神に目を向け、
神ご自身をほめたたえる時、
私たちの内側に信仰が与えられてきます。

なぜなら、神をほめたたえている、
そのことは真実であり、
その言葉は神の言葉なので、
私たちの内側に力強く働いて信仰を生み出すからです。

例えば、主は聖なる方という時、
それは真実な神の言葉です。
そのことを心から主である神に向かって祈る時、
その主の聖さ、
神の聖が私たちの内に注がれてきて、
私たちの内に信仰を生み出していきます。

どんな困難にぶつかっていても、
きっとこの方なら助けてくださる
という信仰が与えられてくるのです。

主をほめたたえる前に、
主よ助けてくださいという時、
私たちは目の前の状況にばかり目がいき、
神に不可能はないと思いながら、心の中で、
これは無理かもしれないという不信仰が起こってきます。

でもまず主に目を向けて、
主をほめたたえる時、
目の前の状況を神の視点で見て、
主の眼差しで祈ることが出来るようになるのです。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/16 17:49】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907110939335fb.jpeg


目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。
男らしく、強くありなさい。
いっさいのことを愛をもって行ないなさい。
コリント人への手紙 第二16章13・14節

終わりの時代、多くの誘惑と惑わしが起こってきています。
イエス・キリストは何度も
「目を覚ましていなさい」と言われました。

パウロもコリントの教会の人々へ、
手紙の最後にしっかりと目を覚まして、
堅く信仰に立つことを勧めています。

堅く信仰に立つとは、
みことばにしっかりと立つ、
みことばに根を下ろして、
人の言葉や価値観、周りの状況や環境に
振り回されるのではなく、
神様の与えられた言葉、
神の言葉である聖書の言葉に
しっかりと心を定めて歩むことです。

眼に見える状況や人の言葉によってではなく、
変わることのない神の言葉にしっかりとたち、
男らしく強く、
つまり主イエスに信頼し、
動じないでいることです。

そして、神の言葉に従って、
いっさいのことを愛をもって行いましょう。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/16 15:00】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190716140434c7d.jpeg


まむしのすえたち。

おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。

心に満ちていることを口が話すのです。

良い人は、良い倉から良い物を取り出し、

悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。

私はあなたがたに、こういいましょう。

人はその口にするあらゆるむだなことばについて、

さばきの日には言い開きをしなければなりません。

あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり

罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。

マタイ 12 : 34 ~ 37

今日のデボーションより
主よ。語ることばを守って下さい。
人の徳を高めることばを出しますように。
そのために神のことばで心が満たされますように。

【2019/07/16 14:28】 | 未分類
トラックバック(0) |
201907161404307b3.jpeg


今日は、真夏日?
朝から暑い日差しが・・・・・

早天祈祷会から帰ってみると
ディサービスへ行く準備をしていました。
何時もは靴下もはかさないといけない時があるのですが
今日は自分でできたようです。

心も体もその時その時、違うようです。
いきているので当たり前ですが・・・・
体も心も守られ良い時を過ごせますように。

【2019/07/16 14:10】 | 未分類
トラックバック(0) |
2019061807314057b.jpeg


私にとって、毎日が死の連続です。
    コリント人への手紙 第一15章31節

イエス・キリストが
人となって地上に来てくださった時、
キリストの使命は、
全き人として生涯を歩み、
人間の罪の身代わりとなって裁きと罰を
その身に負って十字架で神に捨てられ
よみである地獄に行くことでした。

もちろんキリストは
必ず復活することを信じておられましたが、
イエス・キリストがなされたのは、
神に棄てられ地獄に堕ちるところまででした。

そのあとの復活は
父なる神様が聖霊様の御力を持って
イエス・キリストを死から復活させられたのです。

私たちも、イエス・キリストに従う時、
パウロのように死を通ることがあります。
主イエスに従うと
罪人である肉なる私たちは死を通されます。
その死を通して
肉なるものが砕かれていくのです。

そして主イエスの恵みと父なる神の愛の中で、
その死を通して復活の力に預かり、
聖霊に満たされて
主の御心の中を歩めるように
整えられていくのです。

主のしもべであったパウロは
「私にとって毎日が死の連続です」と言いました。
しかもそのことを
「これは、私たちの主キリスト・イエスにあって
 あなたがたを誇る私の誇りにかけて、
 誓って言えることです」と言ったのです。

あなたも主を愛して従っていく時、
死を通されることがあるでしょう。
しかし、そのことを喜び、
主イエスが、その死を通して、
肉なるものから聖霊の器へと
復活させてくださる恵みと勝利に
預からせてくださることを信じて誇りましょう。

【2019/07/13 17:19】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190618073136330.jpeg


     こういうわけで、
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
  その中で一番すぐれているのは愛です。
       コリント人への手紙13章13節

私たちが生きているこの地上は永遠ではありません。
いつか終わりが来、そして滅びます。
私たちにも死という終わりがあります。
しかし、それで終わりではありません。
死は終わりではなく永遠への始まりです。

イエス・キリストの十字架を信じ、
その愛を受け入れた人々には永遠の命、
神と共に永遠に生きることができるのです。

地上のものはいつか朽ちていきます。
しかしいつまでも残るもの、
永遠に朽ちないものがあります。
それが信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。

この愛は「アガペー」の愛です。
つまり神の愛なのです。
十字架で示された神の愛の極み、
この愛であなたも私も愛されています。
その愛を今も注がれているのです。

イエス・キリストを信じて
キリスト共に歩き始めると、
その愛の中を歩むことができます。
その永遠の愛の中を
共に歩き続けていきましょう。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/07/13 17:00】 | 未分類
トラックバック(0) |
20190620093137201.jpeg


あなたがたはキリストのからだであって、
  ひとりひとりは各器官なのです。
コリント人への手紙 第一12章27節

聖書では、教会のことをからだに例えています。
教会はキリストのからだで、
ひとりひとりは各器官だと言っています。

人間のからだが、ただ一つの器官だけではなく、
多くの器官から成り立っているように、
教会にも様々な器官があり、どの器官も必要なのです。

例えば、目が手に向かって
「私はあなたを必要としない」と言うことはできませんし、
頭が足に向かって
「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
それどころか、
からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、
かえってなくてはならないものであることに気づきます。

実際、私たちは、
からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、
ことさらに尊んで、見ばえのしない器官には、
ことさらに良いかっこうにしますが、
かっこうの良い器官にはそのような必要がありません。

神は、劣ったところをことさらに尊んで、
からだをこのように調和させてくださったのです。

それは、からだの中に分裂がなく、
各部分が互いにいたわり合うためです。
もし一つの部分が苦しめば、
すべての部分がともに苦しみ、
もし一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分がともに喜ぶのです。

同じように、
教会である私たちもキリストのからだであって、
ひとりひとりは各器官なのです。
必要でない器官など一つもないのですから、
お互いをいたわり合い愛し合いましょう。

「聖書って、こんなにおもしろい。」より

【2019/07/13 16:28】 | 未分類
トラックバック(0) |