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5月8日、63歳の夫が脳梗塞で緊急入院、一度は命が危ないと言われ、左半分は麻痺となった。9月の退院と言われつつ、7月の末には、歩けるようになり、4階にある我が家へ自分の足で歩き退院し帰宅した夫。
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先週、散髪をしょうとして
ちょっと、もたついている私に「はよ!せんか!」と怒り、
「そんなに怒らなくても何分も待つわけじゃないのに
 自分でできないのだから・・・」と言った私の言葉に
傷ついた?夫が「もういい!散髪1年せんでよか!」と
叫んだ夫

先日、「今度、散髪をしてくれ」と・・
ディサービスのスタッフに「伸びましたね。」と
言われたようです。

「いいよ。」と答えてから
「一年散髪せんでよか!」と起こった人は
誰だったけ?と言うと苦笑いしていました。

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【2019/10/31 11:00】 | 未分類
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今、イスラエルチームが出ています。
昨日は黄金門で礼拝されたようです。
イエス・キリストが再び来られる所「黄金門」

チームは、オリーブ山での祈り込みチームと
ツアー組に別れての行動です。
どちらも祝福されますように。

又今日はガリラヤへ移動日となっています。
時差が7時間あるのでイスラエルは今
就寝中だと思いますが・・・・

【2019/10/31 08:50】 | 未分類
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私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
         哀歌3章22節


私たちの教会は
The Light of Eternal Agape
と言います。

永遠の、神の愛の恵みの光が
満ち溢れている教会です。

私たち人間は、
どんなに良い人でも、
一生懸命生きてきた方でも、
必ず死を迎えます。

そして日本では
この肉体は焼かれて灰になり、
チリに付してしまいます。

しかし、
一人一人の霊は永遠に残るのです。
その霊は本来永遠の滅び、
わかりやすく言えば地獄に行ってしまうのです。

ところが、
私たち一人ひとりを愛してくださつた父なる神は、
ひとり子であるイエス・キリストを、
この地上に送り、
私たち一人一人の罪の身代わりに
呪いと裁きをキリスト負わせ、
十字架につけて殺され
永遠の滅びであるよみ、
地獄に落とされたのです。

あなたが、
私が、
このイエス・キリストの十字架の前で
自分の罪を悔い改め、
イエス・キリストが死に打ち勝って
復活してくださったことを信じ、
主と告白するなら、
私たちは救われ永遠の命を受け、
永遠の滅びではなく、
永遠の命、天国の民となれるのです。

なんという恵みでしょう。
この主の恵みを受けて、
主の憐れみに満ちた愛の中を
日々歩んでいきましょう。

天に帰るその日まで!

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/29 14:00】 | 未分類
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私達の群れから行っている イスラエルチーム🇮🇱は
無事にイスラエルのベン・グリオン空港に無事に
着いたようです。
祝福が豊かにありますように。

【2019/10/29 12:33】 | 未分類
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今日はディサービスです。
今朝も自分で行く準備をしていました。
朝夕ずいぶん肌寒くなりました。
風邪をひきませんように。

【2019/10/29 12:29】 | 未分類
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けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、
主イエスから受けた、神の恵みの福音を
あかしする任務を果たし終えることができるなら、
私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
          使徒の働き20章24節


大迫害者だったパウロが改心して、
使徒パウロとなり、
命をかけてイエス・キリストの福音を
宣べ伝えるものとなりました。

そのパウロは、
ミレトからエペソに使いを送って、
教会の長老たちを呼び、
彼らが集まって来たとき、送別説教をしました。

「皆さんは、
 私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、
 私がいつもどんなふうに
 あなたがたと過ごして来たか、
 よくご存じです。
 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、
 またユダヤ人の陰謀により
 わが身にふりかかる数々の試練の中で、
 主に仕えました。

 益になることは、少しもためらわず、
 あなたがたに知らせました。
 人々の前でも、家々でも、
 あなたがたを教え、
 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、
 神に対する悔い改めと、
 私たちの主イエスに対する信仰とを
 はっきりと主張したのです。
 いま私は、心を縛られて、
 エルサレムに上る途中です。

 そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
 ただわかっているのは、
 聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、
 なわめと苦しみが
 私を待っていると言われることです。
 けれども、
 私が自分の走るべき行程を走り尽くし、
 主イエスから受けた、神の恵みの福音を
 あかしする任務を果たし終えることができるなら、
 私のいのちは少しも惜しいとは思いません」

パウロの説教は続きましたが、
パウロはエルサレムに上れば、
どこの町でも、
なわめと苦しみが待っていることは
わかっていました。
それでも彼は喜んで行きました。
主イエス・キリストから受けた
神の恵みの福音を証しせずにはおれなかったのです。
それが自分の使命であり任務だと
確信していたからです。

そのためには命も惜しいとは思っていませんでした。
主イエス・キリストに出会い、
主イエス・キリストと共に歩く人生は、
命も惜しくないと思えるほど、
喜びと命に満ちているのです。

本当に心から愛しているなら、
その愛する者のために苦しめるのは喜びです。
それほど大きな愛と恵みを
主イエスから受けていたのです。
だから、
その主イエスのために
喜んで命をかけることができのです。

あなたも私も、
パウロと同じように、
主イエスの愛と恵みを受け、
喜んで命をかけて歩める人生を、
生きることができるのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/24 15:00】 | 未分類
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主のことばは驚くほど広まり、
ますます力強くなって行った。
     使徒の働き19章20節


パウロは最初、
クリスチャンを激しく迫害していました。
しかし、ダマスコにいるクリスチャンを
迫害に行く途中に、主の光に照らされ、
悔い改めて全く新しく変えられ、
イエス・キリストを宣べ伝えることに
命をかける使徒になりました。

神は、そのパウロの手によって
驚くべき奇蹟を行なわれました。
パウロの身に着けている手ぬぐいや
前掛けをはずして病人に当てると、
その病気は去り、悪霊は出て行きました。

それを見て、諸国を巡回している
ユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、
ためしに、悪霊につかれている者に向かって
主イエスの御名をとなえ
「パウロの宣べ伝えているイエスによって、
 おまえたちに命じる」
と言って真似をしたのですが・・・。
そういうことをしたのは、
ユダヤの祭司長スケワという人の
七人の息子たちでした。

すると悪霊が答えて
「自分はイエスを知っているし、
 パウロもよく知っている。
 けれどおまえたちは何者だ」と言って、
悪霊につかれている人は、
彼らに飛びかかり、
ふたりの者を押えつけて、
みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、
傷を負ってその家を逃げ出しました。

このことがエペソに住むユダヤ人と
ギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、
みな恐れを感じて、
主イエスの御名をあがめるようになりました。
そして、信仰にはいった人たちの中から
多くの者がやって来て、
自分たちのしていることを
さらけ出して告白しました。

また魔術を行なっていた多くの者が、
その書物をかかえて来て、
みなの前で焼き捨てました。
その値段を合計してみると、
銀貨五万枚にもなりました。

彼らは今まで隠れてしていた罪を告白し
神の忌み嫌われる魔術を止め、
その本もすべて焼き捨てました。
本当に悔い改めたのです。

こうして、
主のことばは驚くほど広まり、
ますます力強くなって行ったのです。

同じことが、
これからこの時代に必ず起こってきます。
クリスチャンの中に、
真実な悔い改めが起こされ、
真に主イエスに従いたいと思う弟子たちが増え、
偶像礼拝や占いから離れ、
まことの神だけを礼拝するようになるでしょう。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/24 13:57】 | 未分類
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今朝の空

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今朝は曇り空です。
あとから晴れるでしょか?

どうやら夫も曇り空?
ご機嫌ななめです。

お風呂の前に髪が伸びてきたので散髪しょうと
「お父さん、散髪賞。」と準備して椅子に座らせ
散髪カバーをさせ、バリカンを出そうとしていると、
「はよ、せんか!」と怒鳴りました。

ものの何秒かです。
「お父さん、そんなに怒鳴らなくても!今準備しているとこだよ。
 自分で出来ないんだから、少しまっても・・・」
夫「もう!よか!散髪はせん。一年せんでよか!」と・・

ああ失敗してしまいました。
私の言った「自分で出来ないのだから」という言葉に
カチン!ときたのではないでしょうか?
「もうせん!一年せんでよか!」と・・・

そんな出来るはずのない言葉を夫も出しています。
口に出す言葉って大事です。

イエス様は「人から出る言葉が人を汚すのです。
人は心にある事を口に出すのです」と言われましたが
本当にそうです。
夫に対する不満が出てしまったのだと思います。

悔い改めます。
感謝します。
日々のなかで主に助けてもらわなくては介護は
出来ません。





【2019/10/24 09:47】 | 未分類
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ロシアの上空だそうです。

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モスクワの空

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上海の上空

ロシアに行っておられたJ牧師とS牧師は
任務を為し終えて
サマーラーモスクワー上海ー福岡 と無事に帰り着かれたようです。
日曜日の証が楽しみです。

【2019/10/22 15:29】 | 未分類
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こうしてダビデは、
石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。
ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、
このペリシテ人を打ち殺してしまった。
         第1 サムエル記17章50節


ゴリヤテは盾持ちを先に立て、
ダビデのほうにじりじりと進んで来、あたりを見おろして、
ダビデに目を留めたとき、彼をさげす見ました。
ダビデが若くて、紅顔の美少年だったからです。

ゴリヤテはダビデに言いました。
「おれは犬なのか。杖を持って向かって来るが」
そう言って自分の神々によってダビデをのろい、
ダビデに言いました。
「さあ、来い。
 おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」
ダビデはゴリヤテに
「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、
私に向かって来るが、
私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、
万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。
きょう、主はおまえを私の手に渡される。
私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、
きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、
空の鳥、地の獣に与える。

すべての国は、
イスラエルに神がおられることを知るであろう。
この全集団も、
主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。
この戦いは主の戦いだ。
主はおまえたちをわれわれの手に渡される」
と言いました。

ゴリヤテは、立ち上がり、
ダビデを迎え撃とうと近づいて来ました。
ダビデもすばやく戦場を走って行き、
ゴリヤテに立ち向かっていきました。
ダビデは袋の中に手を差し入れ、
石を一つ取り、石投げでそれを放ち、
ペリシテ人の額を打ちました。
石は額に食い込み、
彼はうつぶせに倒れてしまいました。

こうしてダビデは、石投げと一つの石で、
ゴリヤテに勝ったのです。
ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、
ゴリヤテを打ち殺してしまいました。

ダビデは走って行って、
ゴリヤテの上にまたがり、
彼の剣を奪って、さやから抜き、
とどめを刺して首をはねました。
ペリシテ人たちは、
彼らの勇士が死んだのを見て逃げました。

戦いの戦士であった大男のゴリヤテ、
イスラエルの王も全ての人も恐れていたゴリヤテ、
しかしダビデは生ける神の陣をなぶったゴリヤテには
必ず神が助けてくださるので勝てると信じていました。

ゴリヤテは紅顔で美少年のダビデが立ち向かってきた時、
彼をさげすみました。
しかしダビデは
いつも羊飼いとして用いている投石袋と石で、
ゴリヤテを倒し、
神の完全な圧倒的な勝利を見、手にするのです。
たった一つの石でダビデは勝ちました。

神が置かれた場所で、
いつも羊飼いとして忠実に仕えていたことが
勝利の大きなポイントでした。

彼は毎日の生活の中で
神の真実と力を体験し神の愛を知っていたのです。
だから、どんなに強い大男のゴリヤテをみても、
動じなかったのです。
この神の陣をなぶる、
このお方を侮るものに負けることはないと
知っていたのです。

私たちも、
今置かれている場所で、
そこが職場でも、バイト先でも、家庭でも、
あるいは学校や教会でも、
その場所で感謝と賛美を捧げ、
求め祈り、信仰の告白をし、
聖霊の助けの中で
主イエスのみ声に聞き従っているならば、
そこで神の愛を知り、
主の助けを受け、
神の奇跡を見るのです。

そしてそれが、
大きな問題や困難にぶつかり直面した時に、
あなたを助ける武器となります。
必ず神はあなたにも
圧倒的な完全な勝利を与えられます。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/22 09:54】 | 未分類
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ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から
私を救い出してくださった主は、
あのペリシテ人の手からも
私を救い出してくださいます。」
サウルはダビデに言った。
「行きなさい。
 主があなたとともにおられるように。」
 
         第1 サムエル記17章37節


イスラエルに敵対して立ち向かってきたペリシテ人の大男ゴリヤテ、
彼は生ける神の陣であるイスラエルの陣を40日間なぶり続けました。
サウル王とイスラエルは恐れ逃げました。
しかしダビデは
生ける神の陣をなぶったゴリヤテは
神が倒されると言ったのです。
そのダビデが言ったことを人々が聞いて、
それをサウル王に知らせたので、
サウルはダビデを呼び寄せました。

ダビデはサウルに言います。
「生ける神の陣をなぶったのですから」
さらに続けて、ダビデは言いました。
「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、
あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます」

それを聞いて、サウルはダビデに言いました。
「行きなさい。主があなたとともにおられるように」
そう言って、サウルは
ダビデに自分のよろいかぶとを着させ、
頭には青銅のかぶとをかぶらせ、
身にはよろいを着けさせました。

ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、
思い切って歩いてみました。
慣れていなかったからです。
それから、ダビデはサウルに言いました。
「こんなものを着けては、歩くこともできません。
慣れていないからです」

ダビデはそれを脱ぎ、自分の杖を手に取り、
川から五つのなめらかな石を選んできて、
それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、
あのペリシテ人に近づいていきました。

ダビデは、その投石袋と1つの石で
ゴリヤテを倒してしまいます。
彼はサウル王のよろいやかぶとを
こんなものと言って脱ぎ捨てました。
そしていつも羊飼いとして使っていた杖と
投石袋と5つの石で立ち向かったのです。

どんな大きな問題や困難であろうと、
特別な武器や慣れない武具を使う必要はないのです。
いつも日常の生活の中で用いている信仰の武器を、
その大きな問題や困難の時に用いて行く時、
神の助けと奇跡を見るのです。

そうです。
感謝と賛美、求めの祈り、信仰の告白、
聖霊の賜物、癒しや預言、
私たちが毎日の生活の中で
神が与えてくださった信仰の武器を用いているなら、
それが大きな問題や困難な時も
力強く生かされ用いられるのです。

「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。
このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう」
サウルはダビデに言いました。

「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、
あれと戦うことはできない。
あなたはまだ若いし、
あれは若い時から戦士だったのだから」

ダビデはサウルに言いました。
「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。
獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、
私はそのあとを追って出て、それを殺し、
その口から羊を救い出します。
それが私に襲いかかるときは、
そのひげをつかんで打ち殺しています。
このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。
あの割礼を受けていないペリシテ人も、
これらの獣の一匹のようになるでしょう。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/22 08:50】 | 未分類
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朝夕ずいぶん、肌寒くなりました。
あちこちから金木犀の香りが漂ってくる季節にたりました。
夫も部屋着が長袖に変わっています。

今日はディサービスに行く日です。
体調は良いようです。
自分で着替えをして玄関に椅子、靴も準備しています。
祝福された一日でありますように。


【2019/10/22 08:45】 | 未分類
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ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。
「このペリシテ人を打って、
イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。
この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。
生ける神の陣をなぶるとは。」
          第1 サムエル記17章26節


イスラエルの敵であるペリシテ人は戦いのために軍隊を召集し、
ユダのソコに集まり、
ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムという所に陣を敷きました。
一方サウル王とイスラエル人は集まって、
エラの谷に陣を敷き、
ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをしました。

こうして、ペリシテ人は向こう側の山の上に、
イスラエル人はこちら側の山の上に、
谷を隔てて相対したのです。
ときに、ペリシテ人の陣営から、
ゴリヤテというひとりの代表戦士が出て来ました。

彼はガテの生まれで、
その背の高さは六キュビト半、つまり3m弱。
頭には青銅のかぶとをかぶり、
身にはうろことじのよろいを着けており、
そのよろいの重さは青銅で五千シェケル、つまり57キロ。
足には青銅のすね当てを着け、
肩には青銅の投げ槍を背負っていました。
槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、
槍の穂先は、鉄で六百シェケル(6.8kg)。
盾持ちが彼の先を歩いていました。

ゴリヤテは立って、
イスラエル人の陣に向かって叫んで言いました。
「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。
おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。
ひとりを選んで、おれのところによこせ。
おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、
おれたちはおまえらの奴隷となる。
もし、おれが勝って、そいつを殺せば、
おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ」

ゴリヤテはまた言いました。
「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。
ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう」
サウル王とイスラエルのすべては、
このペリシテ人のことばを聞いたとき、
意気消沈し、非常に恐れてしまいました。
ゴリヤテは、四十日間、朝早くと夕暮れに
出て来て姿を現わしイスラエルをなぶり続けました。

ユダのベツレヘムにエッサイという人がいました。
彼には八人の息子がいましたが、
上の三人の息子たちは、
サウルに従って戦いに出て行っていました。
ダビデは末っ子で、羊飼いでした。
父であるエッサイは末っ子のダビデに、
食物の差し入れを持って行き、
お兄さんたちの安否を調べるようにと言いました。

ダビデは翌朝早く、
父のエッサイが命じたとおりに、
品物を持って出かけました。
彼が野営地に来て、
兄たちと見つけて話していると、
ちょうどその時、
ゴリヤテがいつものように上って来て、
いつもと同じ文句をくり返して
イスラエルの陣をなぶりました。

ダビデはこれを聞いたのです。
イスラエルの人はみな、
この男を見たとき、
その前を逃げて、非常に恐れました。

イスラエルの人たちは言いました。
「あの上って来た男を見たか。
イスラエルをなぶるために上って来たのだ。
あれを殺す者がいれば、
王はその者を大いに富ませ、
その者に自分の娘を与え、
その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ」

ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言いました。
「このペリシテ人を打って、
イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。
この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。
生ける神の陣をなぶるとは」
民は、先のことばのように、
彼を殺した者には、このようにされる、と答えました。

ダビデは、サウロ王様からの報酬が欲しかったのではありません。
生ける神の陣であるイスラエルの陣をなぶったことに対して
聖なる怒りを持ったのです。
生ける神をあなどり馬鹿にする、
とんでも無いことです。
生ける真の神様は侮られるような方ではありません。
なぶられるようなお方ではありません。

必ずゴリヤテは
生ける神をなぶり馬鹿にしたのだから、
神様が倒される。
このままでは済まされないと、
ダビデは信じ知っていたから
ゴリヤテにも勝てるといったのです。


あなたにも立ち向かえないような、
まるでゴリヤテのような問題や困難、
病気や負債、借金やこじれきった人間関係が
目の前に立ちはだかっているかもしれません。

しかし、恐れないでください。
神があなたと共におられます。
あなたと共にいる神を忘れないでください。
神を侮るものを神様は正しく裁かれます。

あなたが主イエス・キリストの御名を高く掲げて、
その問題に立ち向かうな、
神は必ずあなたのために戦い、
神の圧倒的な勝利を現してくださいます。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

今日も様々なゴリアテに向かって
イエス・キリストの御名によって立ち向かい
勝利を見て行きたいと思います。

【2019/10/17 11:30】 | 未分類
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今日の長崎は雨です。
今朝はちょっと寒いでした。
ひと雨ごとにこれから寒くなっていくのだと思います。

風邪、インフルエンザなどに罹らないように
心も体も守られますように。

【2019/10/17 10:25】 | 未分類
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「ほふられた小羊は、
 力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、
 賛美を受けるにふさわしい方です。」
          ヨハネの黙示録5章12節


イエス・キリストは、
今、天国で右の座に座しておられます。
そして御使たちを始め、
天に帰った人々も
イエス・キリストを大声で賛美し、
ほめたたえています。

彼は、ほふられた小羊となって、
私たちの罪の身代わりになって十字架にかかり
死んで、よみである地獄に行ってくださいました。
しかし、死に打ち勝って復活し、
よみがえって40日間地上にいた後、
天に昇られました。
今、天国で神の右の座におられます。

そのほふられた小羊である
イエス・キリストは、
力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、
賛美を受けるにふさわしいお方なのです。

この方に賛美をささげ、
すべての栄光をお返ししましょう。
力も、富も、知恵も勢いも誉れも栄光も、
全てをこの方、イエス・キリストにお返ししましょう。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/16 14:00】 | 未分類
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ここに上れ。
この後、必ず起こる事をあなたに示そう。
         ヨハネの黙示録4章1節


聖書の一番最後に
「ヨハネの黙示録」という書物があります。
これは最後の7年間の患難時代
と言われる時のことを中心に、
その後の千年王国・新天新地について書いてある書物です。

最後の7年間のことが
ヨハネの黙示録の4章から書かれていますが、
その4章の最初が
「その後、私は見た。
 見よ。天に一つの開いた門があった。
 また、先にラッパのような声で
 私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。」
という言葉で始まり
「ここに上れ。この後、必ず起こることを示そう。」
と続くのです。
この時ヨハネに神は語られたのですが、
同じように、神は、私たちにも、
これから起こることを前もって語ってくださいます。

そして、
そのために備えをするように言われているのです。
黙示録はもちろん、
旧新約聖書をしっかりと読み、
聖霊に教えていただきながら、
これから起こる困難な時代に備えましょう。

それは同時に大収穫の時でもあるからです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/16 12:10】 | 未分類
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これ、Tさんにと、誕生日プレゼントを頂きました。
毎年毎年、気遣ってプレゼントを下さいます。

礼拝に夫が来た時に、
その方を連れて行き「お父さん、お誕生日プレゼントを下さった人だよ。」
と言っても、「ああ」と言って頭を下げるだけの
無愛想な夫に、懲りもせず毎年毎年持ってきて下さいます。
本当に無愛想で申し訳無く思います。

主からの祝福が豊かにありますように。
Hさんの隠れたところの優しさに
主が報いて下さいますように。

【2019/10/16 09:44】 | 未分類
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今日は夫の71歳の誕生日です。
主の深い愛と恵と守りに心から感謝します。
命を落としてもおかしくない状況が
何度も何度もありました。

慈しみ深いイエス・キリストの十字架の愛に
心から感謝します。
イエス・キリストの十字架の愛に気づき
真の悔い改めが起こされ新生体験が
なされますように。


「主は、ある人たちが遅いと思っているように、

その約束のことを遅らせておられるのではありません。

かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、

ひとりでも滅びることを望まず、

すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

                     II ペテロ3 : 9

【2019/10/16 09:34】 | 未分類
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私たちは良くても悪くても、
あなたを遣わされた私たちの神、
主の御声に聞き従います。
私たちが私たちの神、
主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。
エレミヤ書42章6節


旧約聖書の中にエレミヤという預言者がいます。
イスラエルのすべての将校たち、
カレアハの子ヨハナン、ホシャの子イザヌヤ、
および身分の低い者も高い者もみな、
彼のところに寄って来て
「どうぞ、私たちの願いを聞いてください。
 私たちのため、この残った者みなのために、
 あなたの神、主に、祈ってください。
 ご覧のとおり、私たちは多くの者の中から
 ごくわずかだけ残ったのです。
 あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、
 なすべきことを私たちに告げてくださいますように」
と言いました。

そこで、預言者エレミヤは彼らに答えて言いました。
「承知しました。
 今、私は、あなたがたのことばのとおり、
 あなたがたの神、主に祈り、
 主があなたがたに答えられることはみな、
 あなたがたに告げましょう。
 何事も、あなたがたに隠しません」と。

すると彼らはエレミヤに
「主が私たちの間で
 真実な確かな証人でありますように。
 私たちは、すべてあなたの神、
 主が私たちのためにあなたを送って告げられることばのとおりに、
 必ず行ないます。
 私たちは良くても悪くても、
 あなたを遣わされた私たちの神、
 主の御声に聞き従います。
 私たちが私たちの神、
 主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです」
と言ったのです。
これは最高の答えでした。

主である神の御声に聞き従う、
それが私たちの耳に良いことでも悪いことでも、
主の言われることに聞き従う、
それは主のみ声に聞き従うことが
幸せになる一番確かな道だからです。

彼らは100%の満点回答をしました。
しかし残念なことにこの後、
エレミヤが彼らの望んでいた道とは違う道を
神から示され語った時、
彼らは、その主のみ声に従わなかったのです。

私たちも、本当に主である神のみ声に従って、
神が用意してくださっている
最高にして最善の祝福と勝利を見ていきましょう。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/15 14:00】 | 未分類
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見なさい。
耐え忍んだ人たちは幸いであると、
私たちは考えます。
あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。
また、主が彼になさったことの結末を見たのです。
主は慈愛に富み、
あわれみに満ちておられる方だということです。
           ヤコプの手紙5章11節


忍耐という言葉は現在では死語になっています。
「忍」と書くと「忍者」という風に
今の人たちは答えます。
「忍耐」という人は、ほとんどいません。

でも「忍耐」は
信仰においても、愛においても
最も重要なことの一つです。

旧約聖書にヨブという人が出てきます。
この人は潔白で正しく、神を恐れ、
悪から遠ざかっている人でした。
しかし、神の許しのもと、
サタンの試みが始まります。
持ち物、子どもたちを失い、
足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打たれます。

しかしヨブは、
そのような中で忍耐し忍耐の末に、
彼は二倍の祝福を受けるのです。

アブラハムも忍耐の末に、
約束の子であるイサクを授かります。

私たちには
理解出来ないような困難や問題が許され、
私たちにとっては長いと思える期間、
忍耐しなければならない時があります。
しかし主は忍耐のための忍耐を
強いるような方ではありません。

忍耐を通して、
主イエスは私たちに
素晴らしい祝福と勝利を用意しておられ、
神の栄光を現してくださるのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/15 12:55】 | 未分類
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朝夕ずいぶん涼しくなりました。
ちょっと肌寒いくらいです。

ディサービスに行く為に、
夫が自分で準備して半袖のシャツを着ているので
大丈夫?寒くない?と聞くと
寒くない。と・・・・

インフルエンザも流行っているようですが
守られますように。



















【2019/10/15 12:49】 | 未分類
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急いで一番良い着物を持って来て、
この子に着せなさい。
それから、手に指輪をはめさせ、
足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。
食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、
いなくなっていたのが見つかったのだから。
        ルカの福音書15章22節ー24節


父の財産を分けてもらい
遠い国に行って放蕩三昧した弟の放蕩息子は、
食べるのにも困り果て、
風呂にも入れず身も心もボロボロになったとき、
我に返って父の元に帰ってきます。

父は毎日、
息子が帰ってくるのを待ち続けていました。
よたよた歩きながら帰ってきたこの放蕩息子を
父は遠くから一目見て、すぐに息子だとわかり
走り寄ってきて抱きしめ口づけします。
そのとき息子は言いました。
『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、
 またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません』

ところが父親は、しもべたちに言いました。
『急いで一番良い着物を持って来て、
 この子に着せなさい。それから、
 手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。
 食べて祝おうではないか。
 この息子は、死んでいたのが生き返り、
 いなくなっていたのが見つかったのだから』
そして彼らは祝宴を始めたのです。

息子が雇い人の1人にしてくださいと言う前に、
父はしもべたちに言いました。
「急いで一番良い着物を持ってきて、
 この子に着せなさい」と。
愛する息子がボロボロの服を着ていたのが
辛かったのでしょう。
そしてさらにこう言いました。
「手に指輪をはめさせ、靴を履かせなさい」と。

当時、相続権を持っている子どもは
指輪をはめていました。
兄とともに、
この弟も指輪をはめていたはずなのです。
でもこのとき彼の指にはなかったのです。
指輪を売って、
そのお金で放蕩三昧をしたのでしょう。
そんなこともあって、この放蕩息子は父に
「子と呼ばれる資格はありません」
と言ったのかもしれません。

でも父は抱きしめたとき、
すぐに息子から指輪がなくなっていることに
気づきました。
売って放蕩したこともわかったはずです。
それでも父親は
「指輪を持ってきてはめさせなさい」
と言ったのです。

お前がどんなに失敗をしようと、
どんなに放蕩したとしても、
お前は大切な大切な私の息子だ、
まして今、こうして私のところに
悔い改めて帰ってきたのだから、
もう一度指輪をはめなさい。
私のかけがえのない息子なのだから。

父なる神の愛は私たちがどうであれ、
決して変わらないのです。

日本では靴を履いているのは
当たり前になっています。
でも世界では
靴を履いていない子供たちはたくさんいます。
一握りの豊かな人々と
たくさんの貧しい人々、特に子供達がいます。
彼らは靴など履いてません。
裸足で生きています。

放蕩息子は靴も履けなくなり、
裸足で帰ってきました。
父はすぐ靴を履かせなさいと言いました。

そして最後に肥えた子牛を引いてきて
屠りなさいと言っています。
これは一番最高のもてなし方でした。
最高のもてなしとお祝いをしたのです。
死んでいた息子が生き返り、
いなくなっていた息子が見つかったからです。

あなたが父なる神の元に帰って行くなら、
神は喜んであなたの元に走り寄り
あなたを抱きしめて口づけし、
最高のもてなしをして
お祝いしてくださいます。

神はあなたを愛しておられるからです。
その神の愛は決して変わることがないのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/12 18:26】 | 未分類
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こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけした。
         ルカの福音書15章20節


聖書の中には「放蕩息子」というとても有名なお話があります。
そのお話というのは、こんなお話しです。

ある人に息子がふたりいました。
弟が父に「おとうさん。私に財産の分け前を下さい」
と言います。まだ父は元気なのに・・・
今でこそ生前分与というのがありますが、
当時は生きているときに財産を分けてくれ
と言うのは「早く死ね」と言っているのと同じで、
どんでもないことでした。

ところが父は、
怒りもせず身代をふたりに分けてやりました。
本当に優しいお父さんですね。
分けてもらった弟は、
それから、幾日もたたぬうちに、
何もかもまとめて遠い国に旅立って行きました。

どうしてかと言うと、
遠い国だと父のことを気にせず
自分の好き放題にできるからです。
案の定、彼はそこで放蕩して
湯水のように財産を使ってしまいました。
何もかも使い果たしたあとに、
何とその国に大ききんが起こり、
彼は食べるにも困り始めたのです。

それで、その国のある人のもとに
身を寄せたのですが、
その人は彼を畑にやって、
豚の世話をさせました。
豚の世話は素晴らしいお仕事です。
ただ当時、旧約聖書のユダヤ人にとって
豚は汚れた動物だったので、
これは最悪の仕事という意味です。

彼は豚の食べるいなご豆で
腹を満たしたいほどでしたが、
だれひとり彼に与えてはくれませんでした。

そのとき、やっと彼は、我に返ったのです。
「父のところには、
 パンのあり余っている雇い人が
 大ぜいいるではないか。
 それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
 立って、父のところに行って、こう言おう。
『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、
 またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人のひとりにしてください。』」
こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行きました。

ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけしたのです。

父は毎日毎日、
弟が帰ってくるのを待っていました。
「世の中、そんなに甘くない。
 きっと大変な目に遭うことだろう。」
そう思って彼が出て行った方を見ながら、
毎日毎日、
彼が帰ってくるのを待つていたのです。

そこに出て行った時とは全く姿の変わった弟が、
遠くの方に見えました。
よたよたと歩きながら帰ってきます。
父は気がついたら走り出していました。
そして父の方から息子に駆け寄って
ボロボロの服を着て臭いのする息子を
抱きしめたのです。

これが父の愛です。

父なる神様は、
あなたのことも私のことも、
このように愛してくださっています。

私たちがどんなに父から離れて
失敗してボロボロになっても、
自分勝手な生き方をして、
心と体が傷つき痛んでいても、
父なる神は、
悔い改めて父のもとに帰ろうと
歩き出した私を見つけ出し、
あなたに走り寄ってきて、
私を、あなたを、
抱きしめてくださるのです。こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけした。
         ルカの福音書15章20節


聖書の中には「放蕩息子」というとても有名なお話があります。
そのお話というのは、こんなお話しです。

ある人に息子がふたりいました。
弟が父に「おとうさん。私に財産の分け前を下さい」
と言います。まだ父は元気なのに・・・
今でこそ生前分与というのがありますが、
当時は生きているときに財産を分けてくれ
と言うのは「早く死ね」と言っているのと同じで、
どんでもないことでした。

ところが父は、
怒りもせず身代をふたりに分けてやりました。
本当に優しいお父さんですね。
分けてもらった弟は、
それから、幾日もたたぬうちに、
何もかもまとめて遠い国に旅立って行きました。

どうしてかと言うと、
遠い国だと父のことを気にせず
自分の好き放題にできるからです。
案の定、彼はそこで放蕩して
湯水のように財産を使ってしまいました。

何もかも使い果たしたあとに、
何とその国に大ききんが起こり、
彼は食べるにも困り始めたのです。
それで、その国のある人のもとに
身を寄せたのですが、
その人は彼を畑にやって、
豚の世話をさせました。
豚の世話は素晴らしいお仕事です。

ただ当時、旧約聖書のユダヤ人にとって
豚は汚れた動物だったので、
これは最悪の仕事という意味です。
彼は豚の食べるいなご豆で
腹を満たしたいほどでしたが、
だれひとり彼に与えてはくれませんでした。

そのとき、やっと彼は、我に返ったのです。
「父のところには、
 パンのあり余っている雇い人が
 大ぜいいるではないか。
 それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
 立って、父のところに行って、こう言おう。

『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、
 またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人のひとりにしてください。』」
こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行きました。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけしたのです。

父は毎日毎日、
弟が帰ってくるのを待っていました。
「世の中、そんなに甘くない。
 きっと大変な目に遭うことだろう。」
そう思って彼が出て行った方を見ながら、
毎日毎日、
彼が帰ってくるのを待つていたのです。

そこに出て行った時とは全く姿の変わった弟が、
遠くの方に見えました。
よたよたと歩きながら帰ってきます。
父は気がついたら走り出していました。
そして父の方から息子に駆け寄って
ボロボロの服を着て臭いのする息子を
抱きしめたのです。

これが父の愛です。

父なる神様は、
あなたのことも私のことも、
このように愛してくださっています。

私たちがどんなに父から離れて
失敗してボロボロになっても、
自分勝手な生き方をして、
心と体が傷つき痛んでいても、
父なる神は、
悔い改めて父のもとに帰ろうと
歩き出した私を見つけ出し、
あなたに走り寄ってきて、
私を、あなたを、
抱きしめてくださるのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/12 17:22】 | 未分類
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もうすぐ、フィリピンに帰る青年
今日、浸礼で受けたいとの事で
白浜海岸で洗礼式を行いました。

台風19号の余波で、時津の海は波しぶきが
酷かったようですが、白浜海岸は穏やかで
とても暖かかったようです。
写メは白浜海岸です。

【2019/10/12 17:10】 | 未分類
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それでその町に大きな喜びが起こった。
        使徒の働き8章8節


初代教会において、
最初に殉教したステパノの後、
エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、
使徒たち以外の者はみな、
ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされしまいました。

しかし、散らされた人たちは、
みことばを宣べながら、巡り歩いきました。
ピリポはサマリヤの町に下って行き、
人々にキリストを宣べ伝えたのです。

群衆はピリポの話を聞き、
その行なっていたしるしを見て、
みなそろって、彼の語ることに耳を傾けました。
汚れた霊につかれた多くの人たちからは、
その霊が大声で叫んで出て行くし、
大ぜいの中風の者や足のきかない者は直りました。
それでその町に大きな喜びが起こったのです。

殉教と迫害という困難の中で
人々は散らされましたが、
そのことが逆に福音を広めることとなり、
さらに大きなしるしと不思議が起こり、
多くの人々が
キリストを信じ神に立ち返ったのです。

マイナスと思えることさえ、
神の働きの大きなプラスとなりました。
どんな大きなマイナスも、
主イエス・キリストを信じ従うものには、
神の手の中で大きな祝福と勝利となり、
私たちに大きな喜びをもたらしてくれるのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/10 11:30】 | 未分類
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信仰によって、
アブラハムは、相続財産として
受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、
これに従い、どこに行くのかを知らないで、
出て行きました。
          ヘブル人への手紙11章8節


アブラハムはカナンの地に行く時、
カナンの地はどんなところかを
知っていたわけではありませんでした。
でも、
神様が約束された良い地であることだけは
信じていたのです。
神様を信頼していたからです。

アブラハムは、
主に従ってカナンの地に出て行きました。
その相続財産として与えられたカナンの地で、
忍耐の末に約束の子イサクを、
年老いたサラによって授かり、
やがて天の星のように、
また海べの数えきれない砂のように
数多い子孫が生まれたのです。

あなたも神の語られることばに従って
あなたのカナンの地に出て行きましょう。
神様は必ず約束を守り祝福してくださいます。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/10 10:00】 | 未分類
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今日は9時ぴったりにお迎えに来て下さいました。
楽しめますように。
心も体も守られますように。
特に言葉が守られ良き言葉がでますように。

【2019/10/10 09:14】 | 未分類
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こうして神のことばは、ますます広まっていき、
エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。
           使徒の働き6章7節前半


使徒たちが福音を宣べ伝え、
初代教会は弟子たちがふえていきました。
と同時に問題も起こってきました。

ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、
ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して
苦情を申し立てたのです。
彼らのうちのやもめたちが、
毎日の配給でなおざりにされていたからです。
いつの時代も食べ物のことは問題になるのですね。

そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めて
「私たちが神のことばをあと回しにして、
 食卓のことに仕えるのはよくありません。
 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、
 御霊と知恵とに満ちた、
 評判の良い人たち七人を選びなさい。
 私たちはその人たちを
 この仕事に当たらせることにします。

 そして、私たちは、
 もっぱら祈りとみことばの奉仕に
 励むことにします」と言い、
全員がこの提案を承認したので、
彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、
およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、
パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
この人たちを使徒たちの前に立たせ、
使徒たちは祈って、手を彼らの上に置きました。

こうしてマイナスだったことが
逆に初代教会の組織をしっかりとさせ、
各々が自分の役割をしっかりと担うようになりました。
その結果、神のことばは、ますます広まって行き、
エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行ったのです。
そして、多くのユダヤ教の祭司たちが
次々に信仰にはいりました。

神の言葉が宣べ伝えられる時、
弟子の数が増えていきます。
それは神の言葉には
人を作り変える力があるからです。

神の言葉は人をいやし、きよめていきます。
神の言葉に触れる時、
人は神の愛に触れられ、神の力と権威を知るのです。
だから自分の人生を捧げて
弟子となりたいと思うようになるのです。

あなたも神の言葉を聞き、
神の言葉に触れてください。
きっと神の深く大きな愛に触れられ、
神の力と権威を知って、
弟子になりたくなるでしょう。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/10 09:05】 | 未分類
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今日の長崎の空です。





愛する者よ。

あなたが、

たましいに幸いを得ているように

すべての点でも幸いを得、

また健康であるように祈ります。

ヨハネの手紙 第三

【2019/10/10 08:55】 | 未分類
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もし神が光の中におられるように、
私たちも光の中を歩んでいるなら、
私たちは互いに交わりを保ち、
御子イエスの血は
すべての罪から私たちをきよめます。
     ヨハネの手紙 第一1章7節

イエス・キリスは、
私たち一人一人の罪の身代わりとなって、
十字架で、その罪の罰と裁きを受けて
死んでよみに下られました。
しかし三日目に死に打ち勝って復活されたのです。

ですから、
私たちが自分の罪を悔い改めて
イエス・キリストを信じる時、
罪が完全に赦されるのはもちろんのこと、
それとともに罪に打ち勝つ力を、
主イエスは与えてくださるのです。

私たちが
主イエスと共に、神の光の中を歩むなら、
私たちは主の光の中で、罪からきよめられていくのです。

「聖書って、こんなにおもしろいより」

何という恵みでしょう。
主の前に罪を悔い改めて、言いあらわす時
罪を赦し、打ち勝つ力をも与えて下さいます。
十字架の恵みのゆえに・・・・・
イエス・キリストの十字架の愛を感謝します。

【2019/10/08 14:00】 | 未分類
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