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5月8日、63歳の夫が脳梗塞で緊急入院、一度は命が危ないと言われ、左半分は麻痺となった。9月の退院と言われつつ、7月の末には、歩けるようになり、4階にある我が家へ自分の足で歩き退院し帰宅した夫。
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しかし、ペテロはたたき続けていた。
彼らが門を開けると、
そこにペテロがいたので、非常に驚いた。
         使徒の働き12章16節


ペテロは、教会の祈りによって、
鎖に繋がれていた牢から
御使によって連れ出され解放されました。

彼は
自分のために祈っている方々のいる
教会であるマルコと呼ばれている
ヨハネの母マリヤの家へ行きました。

そして入口の戸をたたくと、
ロダという女中が応対に出て来ました。
ところが、ペテロの声だとわかると、
喜びのあまり門を開けもしないで、
奥へ駆け込み、
ペテロが門の外に立っていることを
みなに知らせに行きました。
みんなが喜ぶと思ったのでしょう。
ところが彼らは、喜ぶどころか
「あなたは気が狂っているのだ」
と言い信じません。
彼女は本当だと言い張りました。
すると彼らは
「それは彼の御使いだ」と言って
やはり信じないのです。

それぐらい
ペテロが助け出されることは
不可能なことだったのでしょう。

しかし、
ペテロはたたき続けていました。
彼らが門を開けると、
そこにペテロがいたので、
彼らは非常に驚きました。

ペテロは彼らを静かにさせ、
主がどのようにして
牢から救い出してくださったかを、
彼らに話して聞かせました。

熱心に祈っていたのに、
実際に祈っていた通りに
ペテロが助かってくると、
それをすぐ信じれなかった人々。

彼らを不信仰というには、
あまりにもかわいそうですね。
実際、ペテロは
教会の祈りによって助け出されたのですから・・・
神さまは
彼らの熱心な祈りと求めを
信仰として受け取り答えてくださったのです。

教会の人々は、
ありえない不可能に向かって
祈っていたのです。
だから、
その祈りの答えであるペテロが来た時、
信じれなかったのです。

答えられた時
信じれないぐらい不可能なことを
あなたは祈っていますか。

教会とともに祈っていますか。

教会に集い、
絶対不可能と思えることに、
愛する者のために祈り始めましょう。

もうあきらめてしまっていたことを、
もう一度、主に向かって祈りましょう。

神はその祈りと求めの叫びに答えてくださいます。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2020/02/12 09:11】 | 未分類
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祈りのツアーの最期は西坂です。
心からの礼拝を捧げました。

ガイドして下さってる時も
メッセージをして下さっている時も
彩雲がずっーとでてました。

最初は左に、次は右に、次は上の方に逆さに
そしてその上にと・・・
主からの励ましを思わされました。

昼の部、西坂でパウロ秋元牧師を通して
語られた事が強く心に響いてきます。

神様は弱い私達を用いて下さいます!
しかし、弱いままそのままだつたら弱いままです。
しかし、弱さを認め主に依り頼むのです!
主にすがるのです!
その時、主の力が現されます!と・・・

自分の弱さが主にあって神の強さとなりますように。
主の栄光が現される場となりますように。


【2020/02/11 19:04】 | 未分類
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時津です。
26聖人はこの時津の海、極寒の中薄着で
船上で過ごしたそうです。
ここは彼等の「ゲッセマネ」だったのではと
説明して下さいました。

ガイドをして下さったイザヤ牧師が
主に聞かれたそうです。
「彼等にあるものは、どこで培われたのですか」と
すると主は「家族」と応えられたと
おっしやっていました。



【2020/02/11 18:41】 | 未分類
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山本村に続き彼杵に向かいました。
祈りのツアーが始まって以来の良いお天気で
海がキラキラ光ってとても綺麗でした。

海を見ていると、「平安」という言葉が
ぴったりの彼杵の海です。

これからの歩みを主に静まって聞いていると
「備えよ」
「あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」
とのみことばが・・・・

本当に時が近づいている事を思わされます。
日々悔い改めをもって備えていきたいと思います。
主の使命を全うできますように。

【2020/02/11 18:17】 | 未分類
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このバルナバとパウロは、
私たちの主イエス・キリストの御名のために、
いのちを投げ出した人たちです。

        使徒の働き15章26節


命を投げ出す。

つまり、バルナバとパウロは、
イエス・キリストの御名のために、
この福音のために命をかけていたのです。

あなたは命をかけるものを持っていますか。

今時、
命がけなんて流行らないのかもしれません。
でも、誰かので強制や命令でなく、
思い込みでもなく、
喜んで命をかけれるものがある人は
幸せな人でしょう。

自分を愛して
命まで捨ててくださった方が
いることを知った時、
その愛の大きさと深さを、
深く心に感じた時、
その方のために命をかけたくなります。

命をかけるとは、
死を覚悟して生きることです。

命を使い尽くして生きることです。
もちろん、
すぐ死んでしまう場合もあるでしょうが、
逆に長い間、戦いの中を
生きなければならないこともあるでしょう。

でも愛する者のために、
命をかけて生きることは幸せなことです。

あなたも
あなたを命をかけて
愛してくださっているこのお方、
イエス・キリストに命をかけてみませんか。

決して後悔することのない
喜びを深い愛の中で知ることでしょう。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2020/02/11 14:00】 | 未分類
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殉教記念聖会の次の日は、祈りのツアーに参加しました。
山本村、彼杵、時津、西坂と26聖人の足跡をたどり
礼拝し主との交わり時をそれぞれもっていきます。

写メは山本村です。
12歳のルドビゴ茨城少年が主を選びとった所です
ここはいつ来ても、静かな静かなところです。

聖会に続きお天気も良く静かな主との時を
持つことが出来ました。
ここは、一番最初の祈りのツアーに参加した時
私にとっても主を選びとった場所でもあります。

自分の召しに関して求めて祈っていた時であり
主は「祈り」ということを語られ
言われました。

祈りは目に見えない部分であり
木に例えるなら木を支えている根の部分です。
土の中であり人の目には触れない部分、
わからない部分です。
それでも、あなたは受け取りますか。
従いますかと・・・・

私には力がありませんが、
主が共にいて下さいますから、喜んで従いますと
応えました。

今、教会の祈祷部に置いていて下さっています。
主の助けがあり、主が導かれる祈りをしていく時
主の業ををたくさん見せて下さいました。
感謝しています。

【2020/02/11 13:33】 | 未分類
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「金銀は私にはない。
 しかし、私にあるものを上げよう。
 ナザレのイエス・キリストの名によって、
 歩きなさい。」
 
         使徒の働き3章6節


イエス・キリストの弟子であった
ペテロとヨハネは
午後三時の祈りの時間に宮に上って行来ました。

すると、ちようどその時、
生まれつき足のきかない男が運ばれて来ました。
この男は、
宮にはいる人たちから施しを求めるために、
毎日「美しの門」という名の宮の門に
置いてもらっている人でした。

彼は、ペテロとヨハネが
宮にはいろうとするのを見て、
施しを求めました。

ペテロが、ヨハネとともに、
その男を見つめて
「私たちを見なさい」と言うと、
男は何かもらえると思って、
ふたりに目を注ぎました。

すると、ペテロは

「金銀は私にはない。
 しかし、私にあるものを上げよう。
 ナザレのイエス・キリストの名によって、
 歩きなさい」と言って、

彼の右手を取って立たせました。
すると何とたちまち、
彼の足とくるぶしが強くなり、
おどり上がってまっすぐに立ち、
歩きだしたのです。

そして歩いたり、
はねたりしながら、
神を賛美しつつ、
ふたりといっしょに
宮にはいって行来ました。

人々は彼を見て驚き呆れ、
ペテロとヨハネの周りに集まってきました。

人々はまるで
ペテロたちの信仰深さによって歩かせた
かのように見つめていましたが、
ペテロは、はっきりとこう言いました。

「イエス・キリストの御名が、
 その御名を信じる信仰が、
 彼を立たせ完全な体にしたのです」と。

そうです。
イエス・キリストの御名に力があり、
その御名を信じる信仰を通して、
主イエス・キリストご自身が働き、
奇跡といやし、
愛のみわざをなしてくださるのです。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2020/02/11 13:00】 | 未分類
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あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、
 礎の石となった。』というのはこの方のことです。
            使徒の働き4章11節


中東では家を建てる時、
石を土台に据え、
石で家を作ります。

ですから、
この御言葉は家を建てる人が
この石には役に立たない、
こんな石はあっても仕方がないから
と見捨ててしまった石、
それが礎の石、すなわち土台石、
なくてはならない石になったという言葉です。

何とかどこかにハマったというのではなく、
とても大切な土台石、
なくてはならない石になったというのです。

この礎の石は、
イエス・キリストのことを言っています。

イエス・キリストを、
ユダヤ人とその指導者たちは、
いらない、必要ないと
十字架にかけて殺し、
見捨ててしまいました。

しかし、
そのイエス・キリストの十字架が、
そのユダヤ人の、
そして全ての人の救いの土台石となりました。

そして、
私たちひとりひとりも
イエス・キリストを信じるとき、
それまでどんなに役に立たない
見捨てられる存在であったとしても、
神の愛の中で
なくなくてはならない礎の石となるのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2020/02/11 12:30】 | 未分類
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「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
 自分を捨て、自分の十字架を負い、
 そしてわたしについて来なさい。
       マルコの福音書8章34節


日本で最初に
時の権力者太閤秀吉から
キリストを信じるゆえに
処刑を命じられた24人、

大阪と京都で捕らえられ、
長崎の西坂の丘で殉教するときには、
身の回りの世話のためについてきた
二人も加わり26人になっていました。

彼らのことを「日本二十六聖人」と言います。

その西坂の丘にレリーフがありますが、
そこに、この御言葉が刻まれています。

彼らの生涯と殉教が
この御言葉を思い起こさせるからでしょう。

まさに、彼らは、キリストを愛して、
どこまでもついていきたいと思っていました。

そのとき、
殉教という十字架が
目の前に許されたのでした。

彼らは喜んで自分を捨て、
自分の十字架である殉教を受け取り、
キリストに最後まで従いついていったのです。

キリストの弟子になることは、
十字架の道を行くことです。
それは神の愛があふれ流れていく道です。
悲惨な厳しい道ではありません。
天の喜びと神の愛にあふれた道です。

確かに、
この地上では、理解されなかったり、
大切なものを捧げたり、
場合によっては
命を失うことさえあるでしょう。

でも、
永遠をはっきりと知り、
天国の喜びと希望を抱きながら、
神様の広く大きな愛を
深く感じながら生きる道です。

【2020/02/11 11:30】 | 未分類
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長らくブログを更新せずみて下さっている方
申し訳ありません。

殉教記念聖会の為の準備で挙げられませんでした。
(はい、言い訳デス。)

主のみ名をほめたたえます❣️
祈り不足や準備不足だったにもかかわらず
主は、昼の部(西坂公園)も、夜の部(原爆資料館)も、
非常に祝福して下さいました。

主の深い深い御臨在が現されました。
主の時が非常に近づいてきているのだなあと
目を覚まさせられる時でした。

【2020/02/11 11:09】 | 未分類
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