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5月8日、63歳の夫が脳梗塞で緊急入院、一度は命が危ないと言われ、左半分は麻痺となった。9月の退院と言われつつ、7月の末には、歩けるようになり、4階にある我が家へ自分の足で歩き退院し帰宅した夫。
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だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。
      マルコの福音書8章34節


イエスをキリストと答えたペテロと弟子たちに、
イエスは言われました。
人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、
三日の後によみがえらなければならないことを
教え始められました。
しかも、はっきりとこの事がらを話されたのです。

するとペテロは、
イエスをわきにお連れして、いさめ始めると、
イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、
ペテロをしかって言われました。
「下がれ。サタン。
 あなたは神のことを思わないで、
 人のことを思っている。」
それから、イエスは群衆を
弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
 自分を捨て、自分の十字架を負い、
 そしてわたしについて来なさい。
 いのちを救おうと思う者はそれを失い、
 わたしと福音とのためにいのちを失う者は
 それを救うのです。

 人は、たとい全世界を得ても、
 いのちを損じたら、何の得がありましょう。
 自分のいのちを買い戻すために、
 人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
 このような姦淫と罪の時代にあって、
 わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、
 人の子も、父の栄光を帯びて
 聖なる御使いたちとともに来るときには、
 そのような人のことを恥じます。」
と言われました。

救い主である王の王であるイエスが
十字架にかかるということは
ペテロにも弟子たちにもとても
理解できなかったのでしょう。

でもイエスはこの地上の国ではなく、
永遠の御国、天国のことを
語っておられたのです。

イエス・キリストの弟子となることは、
自分の十字架を負って
キリストについていくことです。
自分を捨てないとできません。
自分を捨てるとは、
自分の計画、考え、やり方等を捨てて、
キリストの言われることに従うのです。

でも、それは
最後まで十字架を負って従っていくと、
素晴らしい祝福と恵みが
あふれていることに気づきます。
神の愛と恵みの深さ、高さ、大きさを知り、
神の計画の中で神の愛と奇跡を
たくさん見ることのできる道なのです。

弟子の道は、
クリスチャンにとって最高の道、最善の道です。

「聖書って、こんなにおもしろい」より

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【2019/12/11 10:30】 | 未分類
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