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5月8日、63歳の夫が脳梗塞で緊急入院、一度は命が危ないと言われ、左半分は麻痺となった。9月の退院と言われつつ、7月の末には、歩けるようになり、4階にある我が家へ自分の足で歩き退院し帰宅した夫。
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見なさい。
耐え忍んだ人たちは幸いであると、
私たちは考えます。
あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。
また、主が彼になさったことの結末を見たのです。
主は慈愛に富み、
あわれみに満ちておられる方だということです。
           ヤコプの手紙5章11節


忍耐という言葉は現在では死語になっています。
「忍」と書くと「忍者」という風に
今の人たちは答えます。
「忍耐」という人は、ほとんどいません。

でも「忍耐」は
信仰においても、愛においても
最も重要なことの一つです。

旧約聖書にヨブという人が出てきます。
この人は潔白で正しく、神を恐れ、
悪から遠ざかっている人でした。
しかし、神の許しのもと、
サタンの試みが始まります。
持ち物、子どもたちを失い、
足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打たれます。

しかしヨブは、
そのような中で忍耐し忍耐の末に、
彼は二倍の祝福を受けるのです。

アブラハムも忍耐の末に、
約束の子であるイサクを授かります。

私たちには
理解出来ないような困難や問題が許され、
私たちにとっては長いと思える期間、
忍耐しなければならない時があります。
しかし主は忍耐のための忍耐を
強いるような方ではありません。

忍耐を通して、
主イエスは私たちに
素晴らしい祝福と勝利を用意しておられ、
神の栄光を現してくださるのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/15 12:55】 | 未分類
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朝夕ずいぶん涼しくなりました。
ちょっと肌寒いくらいです。

ディサービスに行く為に、
夫が自分で準備して半袖のシャツを着ているので
大丈夫?寒くない?と聞くと
寒くない。と・・・・

インフルエンザも流行っているようですが
守られますように。



















【2019/10/15 12:49】 | 未分類
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急いで一番良い着物を持って来て、
この子に着せなさい。
それから、手に指輪をはめさせ、
足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。
食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、
いなくなっていたのが見つかったのだから。
        ルカの福音書15章22節ー24節


父の財産を分けてもらい
遠い国に行って放蕩三昧した弟の放蕩息子は、
食べるのにも困り果て、
風呂にも入れず身も心もボロボロになったとき、
我に返って父の元に帰ってきます。

父は毎日、
息子が帰ってくるのを待ち続けていました。
よたよた歩きながら帰ってきたこの放蕩息子を
父は遠くから一目見て、すぐに息子だとわかり
走り寄ってきて抱きしめ口づけします。
そのとき息子は言いました。
『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、
 またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません』

ところが父親は、しもべたちに言いました。
『急いで一番良い着物を持って来て、
 この子に着せなさい。それから、
 手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。
 食べて祝おうではないか。
 この息子は、死んでいたのが生き返り、
 いなくなっていたのが見つかったのだから』
そして彼らは祝宴を始めたのです。

息子が雇い人の1人にしてくださいと言う前に、
父はしもべたちに言いました。
「急いで一番良い着物を持ってきて、
 この子に着せなさい」と。
愛する息子がボロボロの服を着ていたのが
辛かったのでしょう。
そしてさらにこう言いました。
「手に指輪をはめさせ、靴を履かせなさい」と。

当時、相続権を持っている子どもは
指輪をはめていました。
兄とともに、
この弟も指輪をはめていたはずなのです。
でもこのとき彼の指にはなかったのです。
指輪を売って、
そのお金で放蕩三昧をしたのでしょう。
そんなこともあって、この放蕩息子は父に
「子と呼ばれる資格はありません」
と言ったのかもしれません。

でも父は抱きしめたとき、
すぐに息子から指輪がなくなっていることに
気づきました。
売って放蕩したこともわかったはずです。
それでも父親は
「指輪を持ってきてはめさせなさい」
と言ったのです。

お前がどんなに失敗をしようと、
どんなに放蕩したとしても、
お前は大切な大切な私の息子だ、
まして今、こうして私のところに
悔い改めて帰ってきたのだから、
もう一度指輪をはめなさい。
私のかけがえのない息子なのだから。

父なる神の愛は私たちがどうであれ、
決して変わらないのです。

日本では靴を履いているのは
当たり前になっています。
でも世界では
靴を履いていない子供たちはたくさんいます。
一握りの豊かな人々と
たくさんの貧しい人々、特に子供達がいます。
彼らは靴など履いてません。
裸足で生きています。

放蕩息子は靴も履けなくなり、
裸足で帰ってきました。
父はすぐ靴を履かせなさいと言いました。

そして最後に肥えた子牛を引いてきて
屠りなさいと言っています。
これは一番最高のもてなし方でした。
最高のもてなしとお祝いをしたのです。
死んでいた息子が生き返り、
いなくなっていた息子が見つかったからです。

あなたが父なる神の元に帰って行くなら、
神は喜んであなたの元に走り寄り
あなたを抱きしめて口づけし、
最高のもてなしをして
お祝いしてくださいます。

神はあなたを愛しておられるからです。
その神の愛は決して変わることがないのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/12 18:26】 | 未分類
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こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけした。
         ルカの福音書15章20節


聖書の中には「放蕩息子」というとても有名なお話があります。
そのお話というのは、こんなお話しです。

ある人に息子がふたりいました。
弟が父に「おとうさん。私に財産の分け前を下さい」
と言います。まだ父は元気なのに・・・
今でこそ生前分与というのがありますが、
当時は生きているときに財産を分けてくれ
と言うのは「早く死ね」と言っているのと同じで、
どんでもないことでした。

ところが父は、
怒りもせず身代をふたりに分けてやりました。
本当に優しいお父さんですね。
分けてもらった弟は、
それから、幾日もたたぬうちに、
何もかもまとめて遠い国に旅立って行きました。

どうしてかと言うと、
遠い国だと父のことを気にせず
自分の好き放題にできるからです。
案の定、彼はそこで放蕩して
湯水のように財産を使ってしまいました。
何もかも使い果たしたあとに、
何とその国に大ききんが起こり、
彼は食べるにも困り始めたのです。

それで、その国のある人のもとに
身を寄せたのですが、
その人は彼を畑にやって、
豚の世話をさせました。
豚の世話は素晴らしいお仕事です。
ただ当時、旧約聖書のユダヤ人にとって
豚は汚れた動物だったので、
これは最悪の仕事という意味です。

彼は豚の食べるいなご豆で
腹を満たしたいほどでしたが、
だれひとり彼に与えてはくれませんでした。

そのとき、やっと彼は、我に返ったのです。
「父のところには、
 パンのあり余っている雇い人が
 大ぜいいるではないか。
 それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
 立って、父のところに行って、こう言おう。
『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、
 またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人のひとりにしてください。』」
こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行きました。

ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけしたのです。

父は毎日毎日、
弟が帰ってくるのを待っていました。
「世の中、そんなに甘くない。
 きっと大変な目に遭うことだろう。」
そう思って彼が出て行った方を見ながら、
毎日毎日、
彼が帰ってくるのを待つていたのです。

そこに出て行った時とは全く姿の変わった弟が、
遠くの方に見えました。
よたよたと歩きながら帰ってきます。
父は気がついたら走り出していました。
そして父の方から息子に駆け寄って
ボロボロの服を着て臭いのする息子を
抱きしめたのです。

これが父の愛です。

父なる神様は、
あなたのことも私のことも、
このように愛してくださっています。

私たちがどんなに父から離れて
失敗してボロボロになっても、
自分勝手な生き方をして、
心と体が傷つき痛んでいても、
父なる神は、
悔い改めて父のもとに帰ろうと
歩き出した私を見つけ出し、
あなたに走り寄ってきて、
私を、あなたを、
抱きしめてくださるのです。こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけした。
         ルカの福音書15章20節


聖書の中には「放蕩息子」というとても有名なお話があります。
そのお話というのは、こんなお話しです。

ある人に息子がふたりいました。
弟が父に「おとうさん。私に財産の分け前を下さい」
と言います。まだ父は元気なのに・・・
今でこそ生前分与というのがありますが、
当時は生きているときに財産を分けてくれ
と言うのは「早く死ね」と言っているのと同じで、
どんでもないことでした。

ところが父は、
怒りもせず身代をふたりに分けてやりました。
本当に優しいお父さんですね。
分けてもらった弟は、
それから、幾日もたたぬうちに、
何もかもまとめて遠い国に旅立って行きました。

どうしてかと言うと、
遠い国だと父のことを気にせず
自分の好き放題にできるからです。
案の定、彼はそこで放蕩して
湯水のように財産を使ってしまいました。

何もかも使い果たしたあとに、
何とその国に大ききんが起こり、
彼は食べるにも困り始めたのです。
それで、その国のある人のもとに
身を寄せたのですが、
その人は彼を畑にやって、
豚の世話をさせました。
豚の世話は素晴らしいお仕事です。

ただ当時、旧約聖書のユダヤ人にとって
豚は汚れた動物だったので、
これは最悪の仕事という意味です。
彼は豚の食べるいなご豆で
腹を満たしたいほどでしたが、
だれひとり彼に与えてはくれませんでした。

そのとき、やっと彼は、我に返ったのです。
「父のところには、
 パンのあり余っている雇い人が
 大ぜいいるではないか。
 それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
 立って、父のところに行って、こう言おう。

『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、
 またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人のひとりにしてください。』」
こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとに行きました。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、
走り寄って彼を抱き、口づけしたのです。

父は毎日毎日、
弟が帰ってくるのを待っていました。
「世の中、そんなに甘くない。
 きっと大変な目に遭うことだろう。」
そう思って彼が出て行った方を見ながら、
毎日毎日、
彼が帰ってくるのを待つていたのです。

そこに出て行った時とは全く姿の変わった弟が、
遠くの方に見えました。
よたよたと歩きながら帰ってきます。
父は気がついたら走り出していました。
そして父の方から息子に駆け寄って
ボロボロの服を着て臭いのする息子を
抱きしめたのです。

これが父の愛です。

父なる神様は、
あなたのことも私のことも、
このように愛してくださっています。

私たちがどんなに父から離れて
失敗してボロボロになっても、
自分勝手な生き方をして、
心と体が傷つき痛んでいても、
父なる神は、
悔い改めて父のもとに帰ろうと
歩き出した私を見つけ出し、
あなたに走り寄ってきて、
私を、あなたを、
抱きしめてくださるのです。


「聖書って、こんなにおもしろい」より

【2019/10/12 17:22】 | 未分類
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もうすぐ、フィリピンに帰る青年
今日、浸礼で受けたいとの事で
白浜海岸で洗礼式を行いました。

台風19号の余波で、時津の海は波しぶきが
酷かったようですが、白浜海岸は穏やかで
とても暖かかったようです。
写メは白浜海岸です。

【2019/10/12 17:10】 | 未分類
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